の力《ちから》が烈《はげ》しい程《ほど》拂曉《ふつげう》の霜《しも》が白《しろ》く、其《そ》れが白《しろ》い程《ほど》亂《みだ》れて飛《と》ぶ鴉《からす》の如《ごと》き簇雲《むらくも》を遠《とほ》い西山《せいざん》の頂巓《いたゞき》に伴《ともな》うて疾風《しつぷう》は驅《かけ》るのである。兩方《りやうはう》が疲憊《ひはい》して勢《いきほひ》を消耗《せうまう》する季節《きせつ》の變化《へんくわ》を見《み》るまでは其《そ》の爭《あらそ》ひは止《や》むことがない。
其《そ》の日《ひ》も埃《ほこり》が天《てん》を焦《こが》して立《た》つた。其《そ》の埃《ほこり》は黄褐色《くわうかつしよく》で霧《きり》の如《ごと》く地上《ちじやう》の凡《すべ》てを掩《おほ》ひ且《か》つ包《つゝ》んだ。雜木林《ざふきばやし》は一|齊《せい》に斜《なゝめ》に傾《かたぶ》かうとして梢《こずゑ》は彎曲《わんきよく》を描《ゑが》いた。樹木《じゆもく》は皆《みな》互《たがひ》に泣《な》いて囁《さゝや》きながら、幾《いく》らか日《ひ》の明《あか》るさをも妨《さまた》げて居《ゐ》る其《そ》の濃霧《のうむ》から遁《のが》れようとするやうに間斷《かんだん》なく騷《さわ》いだ。霧《きり》は悲慘《みじめ》な凡《すべ》ての物《もの》を互《たがひ》に知《し》らせまいとして吹《ふ》き立《た》ち/\數《すう》十|間《けん》の距離《きより》に於《おい》ては其《そ》の物體《ぶつたい》の形状《けいじやう》をも明《あきら》かに示《しめ》さない。雜木林《ざふきばやし》の樹木《じゆもく》は開墾地《かいこんち》の周圍《しうゐ》にも混亂《こんらん》した。然《しか》し勘次《かんじ》が目《め》を放《はな》つて居《ゐ》るのは足《あし》の爪先《つまさき》二三|尺《じやく》の、今《いま》唐鍬《たうぐは》を以《もつ》て伐去《きりさ》つて遙《はるか》に後《うしろ》へ引《ひ》いてそつと棄《す》てた趾《あと》の一|點《てん》である。埃《ほこり》は土《つち》に幾《いく》らでも濕《うるほ》ひを持《も》つた彼《かれ》の足《あし》もとからは立《た》たなかつた。おつぎは勘次《かんじ》が起《おこ》した塊《かたまり》を一つ/\に萬能《まんのう》の脊《せ》で叩《たゝ》いてさらりと解《ほぐ》して平《たひら》にならして居《ゐ》る。輕鬆《けいしよう》な土《つち》から凝集《こゞ》つて居《ゐ》た塊《かたまり》は解《ほぐ》せば直《すぐ》に吹《ふ》き拂《はら》はれた。おつぎは當面《まとも》に埃《ほこり》を受《う》けるのには遠《とほ》く吹《ふ》きつける土砂《どしや》が頬《ほゝ》を走《はし》つて不快《ふくわい》であつた。手拭《てぬぐひ》の端《はし》を捲《ま》くつて沿《あ》びせる埃《ほこり》の爲《ため》に髮《かみ》の毛《け》の荒《あ》れるのを酷《ひど》く嫌《きら》つた。それでも其《その》手《て》もとは疎略《そりやく》ではなかつた。勘次《かんじ》は矢立《やたて》の如《ごと》き硬直《かうちよく》な身體《からだ》を伸長《しんちやう》し屈曲《くつきよく》させて一|歩《ぽ》/\と運《はこ》んだ。彼《かれ》は周圍《しうゐ》に無數《むすう》な樹木《じゆもく》の泣《な》いて囁《さゝや》くのを耳《みゝ》に入《い》れなかつた。加之《それのみでなく》彼《かれ》は自分《じぶん》の耳朶《みゝたぶら》に鳴《な》るさへ心《こゝろ》づかぬ程《ほど》懸命《けんめい》に唐鍬《たうぐは》を打《う》つた。彼《かれ》は滿身《まんしん》に汗《あせ》して居《ゐ》た。
卯平《うへい》は暇《ひま》を惜《を》しがる勘次《かんじ》が唐鍬《たうぐは》を執《とつ》て出《で》た時《とき》朝餉《あさげ》の後《あと》の口《くち》を五月蠅《うるさ》く鳴《な》らしながら火鉢《ひばち》の前《まへ》にどつかりと坐《すわ》つて居《ゐ》た。破《やぶ》れた草葺《くさぶき》の家《いへ》をゆさぶつて西風《にしかぜ》がごうつと打《う》ちつけて來《き》た時《とき》には火鉢《ひばち》の※[#「火+畏」、第3水準1−87−57]《おき》はまだ白《しろ》く灰《はひ》の皮《かは》を被《かぶ》つて暖《あたゝ》かゝつた。天井《てんじやう》もない屋根裏《やねうら》から煤《すゝ》が微《かす》かにさら/\と散《ち》つて、時々《ときどき》ぽつりと凝集《こゞ》つた儘《まゝ》に落《お》ちた。喬木《けうぼく》が遮《さへぎ》り立《た》つて其《そ》の梢《こずゑ》に蒼《あを》い空《そら》を見《み》せて居《ゐ》る庭《には》へすら疾風《しつぷう》の驚《おどろ》くべき周到《しうたう》な手《て》が袋《ふくろ》の口《くち》を解《と》いて倒《さかさ》にしたやうに埃《ほこり》が滿《み》ちてさら/\と沈《しづ》んだ。一|日《にち》さうして止《と》め處《ど》もなく駈《か》つて行《ゆ
前へ
次へ
全239ページ中210ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長塚 節 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング