しよとう》の梢《こずゑ》に慌《あわたゞ》しく渡《わた》つてそれから暫《しばら》く騷《さわ》いだ儘《まゝ》其《そ》の後《のち》は礑《はた》と忘《わす》れて居《ゐ》て稀《まれ》に思《おも》ひ出《だ》したやうに枯木《かれき》の枝《えだ》を泣《な》かせた西風《にしかぜ》が、雜木林《ざふきばやし》の梢《こずゑ》に白《しろ》く連《つらな》つて居《ゐ》る西《にし》の遠《とほ》い山々《やま/\》の彼方《かなた》に横臥《ね》て居《ゐ》たのが俄《にはか》に自分《じぶん》の威力《ゐりよく》を逞《たくま》しくすべき冬《ふゆ》の季節《きせつ》が自分《じぶん》を棄《す》てゝ去《さ》つたのに氣《き》がついて、吹《ふ》くだけ吹《ふ》かねば止《や》められない其《そ》の特性《とくせい》を發揮《はつき》して毎日《まいにち》其《そ》の特有《もちまへ》な力《ちから》が輕鬆《けいしよう》な土《つち》を空《そら》に捲《ま》いた。
 其《そ》の日《ひ》も拂曉《あけがた》から空《そら》が餘《あま》りにからりとして鈍《にぶ》い軟《やはら》かな光《ひかり》を有《も》たなかつた。毎日《まいにち》吹《ふ》き捲《ま》くる疾風《しつぷう》が其《そ》の遠《とほ》い西山《せいざん》の氷雪《ひようせつ》を含《ふく》んで微細《びさい》に地上《ちじやう》を掩《おほ》うて撒布《さんぷ》したかと思《おも》ふやうに霜《しも》が白《しろ》く凝《こ》つて居《ゐ》た。
 勘次《かんじ》は平生《いつも》の如《ごと》くおつぎを連《つ》れて開墾地《かいこんち》へ出《で》た。おつぎは半纏《はんてん》を後《うしろ》へふはりと掛《か》けた儘《まゝ》手《て》も通《とほ》さないで、肩《かた》へは襷《たすき》を斜《なゝめ》に掛《か》けて萬能《まんのう》を擔《かつ》いで居《ゐ》た。白《しろ》い手拭《てぬぐひ》とそれから手拭《てぬぐひ》の外《そと》に少《すこ》し覗《のぞ》いた後《おく》れ毛《げ》の歩《ある》く度《たび》にふら/\と動《うご》くのもしみ/″\と冷《つめ》た相《さう》であつた。草木《さうもく》及《およ》び地上《ちじやう》の霜《しも》に瞬《まばた》きしながら横《よこ》にさうして斜《なゝめ》に射《さ》し掛《か》ける日《ひ》に遠《とほ》い西《にし》の山々《やま/\》の雪《ゆき》が一頻《ひとしきり》光《ひか》つた。凡《すべ》てを通《つう》じて褐色《かつしよく》の光《ひかり》で包《つゝ》まれた。其《そ》の遠《とほ》く連《つらな》つた山々《やま/\》の頂巓《いたゞき》にはぽつり/\と大小《だいせう》の簇雲《むらくも》が凝《こ》つた儘《まゝ》に掻《か》き亂《みだ》されて暫《しばら》く動《うご》かなかつた。遂《つひ》にはそれが一つに成《な》つて山々《やま/\》の所在《しよざい》を暗《くら》まして、其《そ》の末端《まつたん》が油煙《ゆえん》の如《ごと》く空《そら》に向《むか》つて消散《せうさん》しつゝあるやうに見《み》え始《はじ》めた。其處《そこ》には毎日《まいにち》必《かなら》ず喧※[#「囂」の「頁」に代えて「臣」、第4水準2−4−46]《けんがう》な跫音《あしおと》が人《ひと》の鼓膜《こまく》を騷《さわ》がしつゝある其《そ》の巨人《きよじん》の群集《ぐんじゆ》が、其《そ》の目《め》からは悲慘《みじめ》な地上《ちじやう》の凡《すべ》てを苛《いぢ》めて爪先《つまさき》に蹴飛《けと》ばさうとして、山々《やま/\》の彼方《かなた》から出立《しゆつたつ》したのだ。其《そ》の驚《おどろ》くべき迅速《じんそく》な脚《あし》が空間《くうかん》を一|直線《ちよくせん》に、さうして僅《わづか》な障害物《しやうがいぶつ》であるべき梢《こずゑ》の凡《すべ》てを壓《お》しつけ壓《お》しつけ林《はやし》を越《こ》えて疾驅《しつく》して來《く》るのは今《いま》もう直《すぐ》である。竹《たけ》を伐《き》つて束《つか》ねたやうに寸隙《すんげき》もなく簇《むら》がつて居《ゐ》る其《そ》の爪先《つまさき》に蹴《け》られては怖《おび》えに怖《おび》えた草木《さうもく》は皆《みな》聲《こゑ》を放《はな》つて泣《な》くのである。さうしてもう泣《な》かねば成《な》らぬ時間《じかん》が迫《せま》つて居《ゐ》る。
 勘次《かんじ》は霜《しも》白《しろ》い自分《じぶん》の庭《には》を往來《わうらい》へ出《で》ると無器用《ぶきよう》な櫟《くぬぎ》の林《はやし》が彼《かれ》の行《ゆ》くべき方《かた》に從《したが》つて道《みち》に沿《そ》うて連《つらな》つて居《ゐ》る。彼《か》の破《やぶ》れて、毎日《まいにち》打《う》ちつける疾風《しつぷう》の爲《た》めに傾《かた》むけられた笹《さゝ》の垣根《かきね》には、狹《せま》い往來《わうらい》を越《こ》えて櫟《くぬぎ》の落葉《おちば》が熊手《くまで
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