前《まへ》からぢり/\と身《み》を燒《や》いて行《ゆ》く火《ひ》に苦《くるし》んで悶《もだ》えるやうに煙《けぶり》はうねりながら立《た》ち騰《のぼ》つて寂寥《せきれう》たる黄昏《たそがれ》の光《ひかり》の中《なか》に彷徨《さまよ》うた。それから又《また》四|日目《かめ》に佛《ほとけ》を送《おく》つて村落《むら》の者《もの》は黄昏《たそがれ》の墓地《ぼち》に落《お》ち合《あ》うた。蛇《へび》は猶且《やつぱり》棺臺《くわんだい》の陰《かげ》を去《さ》らなかつた。蛇《へび》は自由《じいう》に匍匐《はらば》ふには餘《あま》りに瘡痍《きず》が大《おほ》きかつた。反《そ》り返《かへ》つた唇《くちびる》のやうに膨《ふく》れた肉《にく》は埃《ほこり》に塗《まみ》れて黒《くろ》く變《へん》じて居《ゐ》た。棺臺《くわんだい》を透《す》かして人《ひと》が之《これ》を覗《うかゞ》へば恐怖《おそれ》を懷《いだ》いて少《すこ》しづゝのたくるのであつた。女房《にようばう》が出《で》たのだといつて村落《むら》の者《もの》は減《へ》らず口《ぐち》を叩《たゝ》いた。暫《しばら》くしてお品《しな》の母《はゝ》の耳《みゝ》へも蛇《へび》の噂《うはさ》が傳《つた》はつた。それからといふものお品《しな》の母《はゝ》は一|夜《や》でも卯平《うへい》を自分《じぶん》の家《うち》から放《はな》さない。三《みつ》つに成《な》つて居《ゐ》たお品《しな》が卯平《うへい》を慕《した》うて確乎《しつか》と其《そ》の家《うち》に引《ひ》き留《と》めたのはそれから間《ま》もないことである。蛇《へび》の噺《はなし》は何時《いつ》の間《ま》にか消滅《せうめつ》した。それは悉皆《みんな》が互《たがひ》に心《こゝろ》に記憶《きおく》を反覆《くりかへ》して快《こゝろ》よしとする程《ほど》彼等《かれら》を憎《にく》んでは居《ゐ》なかつたからである。其《その》後《のち》長《なが》い歳月《としつき》を經《へ》てお品《しな》の母《はゝ》が死《し》んだ時《とき》以前《いぜん》の噺《はなし》を見《み》たり聞《き》いたりして居《ゐ》た者《もの》の間《あひだ》にのみ僅《わづか》に記憶《きおく》が喚《よ》び返《かへ》された。お品《しな》の母《はゝ》は腰《こし》に病氣《びやうき》を持《も》つて居《ゐ》た。卯平《うへい》は自分《じぶん》の手《て》から作《つく》つた罪《つみ》といふものは殆《ほと》んど見《み》られなかつた。唯《たゞ》彼《かれ》は盛年《さかり》の頃《ころ》は他《た》の傭人等《やとひにんら》と共《とも》に能《よ》く猫《ねこ》を殺《ころ》して喫《た》べてた。尤《もつと》も其《その》頃《ころ》は猫《ねこ》でも犬《いぬ》でも飼主《かひぬし》を離《はな》れて※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]《にはとり》を狙《ねら》ふのが彷徨《うろつ》いた。彼等《かれら》は罠《わな》を掛《か》けてそれを待《ま》つた。然《しか》し大抵《たいてい》の家々《いへ/\》では※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]《にはとり》でさへ家《いへ》の内《うち》では煮《に》るのを許容《ゆる》さないので、後《うしろ》の庭《には》へ竹《たけ》で三|本《ぼん》の脚《あし》を作《つく》つてそれへ鍋蔓《なべつる》を掛《か》けた程《ほど》であつたから、猫《ねこ》を殺《ころ》すことが恐《おそ》ろしい罪惡《ざいあく》のやうに見《み》られたのであつた。猫《ねこ》は辛《から》い鹽鮭《しほざけ》を與《あた》へれば腰《こし》が利《き》かない病氣《びやうき》に罹《かゝ》ると一|般《ぱん》にいはれて居《ゐ》るので卯平《うへい》が腰《こし》を惱《なや》んで居《ゐ》るのを稀《まれ》には猫《ねこ》の祟《たゝり》だと戯談《じようだん》にいふものもあつた。それでもさういふ噂《うはさ》は擴《ひろ》がらなかつた。彼《かれ》は憎惡《ぞうを》と嫉妬《しつと》とを村落《むら》の誰《たれ》からも買《か》はなかつた。憎惡《ぞうを》も嫉妬《しつと》もない其處《そこ》に故意《わざ》と惡評《あくひやう》を生《う》み出《だ》す程《ほど》百姓《ひやくしやう》は邪心《じやしん》を有《も》つて居《ゐ》なかつた。村落《むら》の西端《せいたん》に僻在《へきざい》して居《ゐ》る彼《かれ》には興味《きようみ》を以《もつ》て見《み》させる一《ひと》つの條件《でうけん》も具《そな》へて居《ゐ》なかつた。只《たゞ》むつゝりとして他人《たにん》に訴《うつた》へることも求《もと》めることもない彼《かれ》は一|切《さい》村落《むら》との交渉《かうせふ》がなかつた。彼《かれ》の一|身《しん》の有無《うむ》は少《すこ》しも村落《むら》の爲《ため》には輕重《けいちよう》する處《ところ》がなかつた。

         二五

 初冬《
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