かりと窶《やつ》れたやうに見《み》えた。女房《にようばう》が死《し》んだ時《とき》は卯平《うへい》は枕元《まくらもと》に居《ゐ》なかつた。村落《むら》には赤痢《せきり》が發生《はつせい》した。豫防《よばう》の注意《ちうい》も何《なに》もない彼等《かれら》は互《たがひ》に葬儀《さうぎ》に喚《よ》び合《あ》うて少《すこ》しの懸念《けねん》もなしに飮食《いんしよく》をしたので病氣《びやうき》は非常《ひじやう》な勢《いきほ》ひで蔓延《まんえん》したのであつた。卯平《うへい》も患者《くわんじや》の一|人《にん》でさうしてお品《しな》の家《いへ》に惱《なや》んで居《ゐ》た。お品《しな》の母《はゝ》の懇切《こんせつ》な介抱《かいはう》から彼《かれ》は救《すく》はれた。彼《かれ》はどうしても瀕死《ひんし》の女房《にようばう》の傍《かたはら》に病躯《びやうく》を運《はこ》ぶことが出來《でき》なかつた。其《そ》の窶《やつ》れた目《め》の憂《うれ》へるのを彼《かれ》は見《み》るに忍《しの》びなかつたからである。彼《かれ》のさういふ意志《いし》は長《なが》い月日《つきひ》の病苦《びやうく》に嘖《さいな》まれて僻《ひが》んだ女房《にようばう》の心《こゝろ》に通《つう》ずる理由《わけ》がなかつた。さうして女房《にようばう》は激烈《げきれつ》な神經痛《しんけいつう》を訴《うつた》へつゝ死《し》んだ。卯平《うへい》は有繋《さすが》に泣《な》いた。葬式《さうしき》は姻戚《みより》と近所《きんじよ》とで營《いとな》んだが、卯平《うへい》も漸《やつ》と杖《つゑ》に縋《すが》つて行《い》つた。
 其《そ》の秋《あき》の盆《ぼん》には赤痢《せきり》の騷《さわ》ぎも沈《しづ》んで新《あたら》しい佛《ほとけ》の數《かず》が殖《ふ》えて居《ゐ》た。墓地《ぼち》には掘《ほ》り上《あ》げた赤《あか》い土《つち》の小《ちひ》さな塚《つか》が幾《いく》つも疎末《そまつ》な棺臺《くわんだい》を載《の》せて居《ゐ》た。大抵《たいてい》は赤痢《せきり》に罹《かゝ》つて漸《やうや》く身體《からだ》に力《ちから》がついたばかりの人々《ひと/″\》が例年《れいねん》の如《ごと》く草刈鎌《くさかりがま》を持《も》つて六|日《か》の日《ひ》の夕刻《ゆふこく》に墓薙《はかなぎ》というて出《で》た。墓《はか》の邊《ほとり》は生《はえ》るに任《まか》せた草《くさ》が刈拂《かりはら》はれて見《み》るから清潔《せいけつ》に成《な》つた。中央《ちうあう》に青竹《あをだけ》の線香立《せんかうたて》が杙《くひ》のやうに立《た》てられて、石碑《せきひ》の前《まへ》には一《ひと》つづゝ青竹《あをだけ》の簀《す》の子《こ》のやうな小《ちひ》さな棚《たな》が作《つく》られた。卯平《うへい》も墓薙《はかなぎ》の群《むれ》に加《くは》はつた。彼《かれ》のまだ力《ちから》ない手《て》に持《も》つた鎌《かま》の刄先《はさき》が女房《にようばう》の棺臺《くわんだい》の下《した》を覗《のぞ》いてからりと渡《わた》つた時《とき》彼《かれ》は悚然《ぞつ》として手《て》を引《ひ》いた。蛇《へび》が身體《からだ》の後半《こうはん》を彼《かれ》の足《あし》もとに現《あらは》して白《しろ》い腹《はら》を見《み》せた。鎌《かま》の刄先《はさき》が蛇《へび》を切《き》つたのである。蛇《へび》は暫《しばら》く凝然《ぢつ》として居《ゐ》て極《きは》めて徐《おもむ》ろに棺臺《くわんだい》の下《した》に隱《かく》れた。卯平《うへい》の顏《かほ》は黄昏《たそがれ》の光《ひかり》に蒼《あを》かつた。彼《かれ》はそれから他出《たしゆつ》することも稀《まれ》になつた。恢復《くわいふく》しかけた病後《びやうご》の疲勞《ひらう》が夜《よる》は粘《ねば》るやうな汗《あせ》を分泌《ぶんぴ》させた。それから八|日目《かめ》に村落《むら》の者《もの》が佛《ほとけ》を迎《むか》へに提灯《ちやうちん》持《も》つて行《い》つた時《とき》は刈《か》り拂《はら》はれた草《くさ》が暑《あつ》いといつても秋《あき》らしくなつた日《ひ》に其《そ》の生殖作用《せいしよくさよう》を急《いそ》がうとして聳然《すつくり》と首《くび》を擡《もた》げて居《ゐ》た。村落《むら》の人々《ひとびと》は好奇心《かうきしん》に驅《か》られて怖《お》づ/\も棺臺《くわんだい》をそつと揚《あ》げて見《み》た。蛇《へび》は依然《いぜん》としてだらりと横《よこ》たはつた儘《まゝ》であつた。人々《ひとびと》は※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》つた目《め》を見合《みあは》せた。村落《むら》の者《もの》が去《さ》つた後《あと》には小《ちひ》さな青竹《あをだけ》の線香立《せんかうたて》からそこらの石碑《せきひ》の
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