んざ、銜《くうえ》えてぎり/\つとかう手《て》ツ平《ぴら》でぶん廻《まあ》すとぽろうつと噛《か》み切《き》れちやあのがんだから、そんだから今《いま》でも、かうれ、此《こ》の通《とほ》りだ」爺《ぢい》さんはぎり/\と齒《は》を噛《か》み合《あは》せて見《み》せた。
「俺《お》らそれから、喧嘩《けんくわ》ぢや負《ま》けたこたねえだよ、野郎《やらう》何《なん》だつち内《うち》にや打《ぶ》つ張《ぱ》るか、掻《か》つ轉《ころが》すかだな、ごろり轉《ころ》がつた處《ところ》爪先《つまさき》と踵《くびす》持《も》つてかうぐる/\引《ひ》ん廻《まあ》すとどうだ大《えけ》え野郎《やらう》でも起《お》きらんねえだよ、から笑止《をか》しくつて仕《し》やうねえな、えゝか、斯《か》う、かうやんだよ、あゝ、俺《お》ら本當《ほんたう》に強《つえ》えのがんだよ、それ卯平等《うへいら》駄目《だめ》だな後《うしろ》の方《はう》にばかし隱《かく》れてゝからつき」と爺《ぢい》さんは少《すこ》し座《ざ》を退《さが》つて兩手《りやうて》を以《もつ》て喧嘩《けんくわ》の相手《あひて》を苛《いぢ》めるやうな容子《ようす》をして見《み》せた。
「そんだが俺《お》れ旦那《だんな》に云《や》あれてから、家族《うち》の奴等《やつら》ことも怒《おこ》んねえはあ、俺《お》れうめえ處《とこ》見《み》られつちやつたな、いや云《や》あれちや勿體《もつてえ》ながす、本當《ほんたう》に勿體《もつてえ》ねえだよ、お婆《ばあ》さん」爺《ぢい》さんは首《くび》を俛《たれ》て滅切《めつきり》靜《しづ》かになつていつた。さうして彼《かれ》は茶碗《ちやわん》の酒《さけ》をだら/\と零《こぼ》しながらに一口《ひとくち》に嚥《の》んだ。
 此《こ》の時《とき》外《そと》から女房《にようばう》が一人《ひとり》忙《せは》しく來《き》た。女房《にようばう》は佛壇《ぶつだん》の前《まへ》へ行《い》つて
「駐在所《ちうざいしよ》來《き》たよ」悉皆《みんな》の中《なか》へ首《くび》を突《つ》き入《い》れるやうにして竊《そつ》と語《かた》つた。悉皆《みんな》は頻《しき》りに輸※[#「羸」の「羊」に代えて「果」、354−14]《かちまけ》にのみ心《こゝろ》を奪《うば》はれて居《ゐ》た。彼等《かれら》の顏《かほ》はにこ/\としたり又《また》は暫《しばら》くどつぺを掴《つか》まぬものは難《むづ》かしくなつた目《め》を蹙《しが》めたり口《くち》をむぐ/\と動《うご》かしたりして自分《じぶん》は一|向《かう》それを知《し》らないのであつた。彼等《かれら》の各自《めい/\》が持《も》つて居《ゐ》る種々《いろ/\》な隱《かく》れた性情《せいじやう》が薄闇《うすぐら》い室《しつ》の内《うち》にこつそりと思《おも》ひ切《き》つて表現《へうげん》されて居《ゐ》た。女房《はようばう》の言辭《ことば》は悉皆《みんな》の顏《かほ》を唯《たゞ》驚愕《おどろき》の表情《へうじやう》を以《もつ》て掩《おほ》はしめた。一|度《ど》に女房《にようばう》を見《み》た彼等《かれら》には其《そ》の時《とき》まで私語《さゞめ》き合《あ》うた俤《おもかげ》がちつともなかつた。彼等《かれら》は慌《あわ》てゝ寶引絲《はうびきいと》も懷《ふところ》へ隱《かく》して知《し》らぬ容子《ようす》を粧《よそほ》うて圍爐裏《ゐろり》の側《そば》へ集《あつま》つた。
「こつちの方《はう》酷《ひど》く威勢《えせい》えゝから俺《お》らも仲間入《なかまいり》させてもらえてもんだ」寶引《はうびき》の婆《ばあ》さん等《ら》はいつた。
「此《こ》の婆等《ばゝあら》寄《よ》れば觸《さあ》れば博奕《ばくち》なんぞする氣《き》にばかし成《な》つて」爺《ぢい》さんは依然《いぜん》として惡口《わるくち》を止《や》めなかつた。
「かうだ婆等《ばゞあら》だつてさうだに荷厄介《にやつけえ》にしねえでくろよ、こんで俺《お》ら家《ぢ》ぢやまあだ俺《お》れなくつちや闇《くらやみ》だよおめえ、嫁《よめ》があの仕掛《しかけ》だもの」婆《ばあ》さんは更《さら》に
「俺《お》らあ仲間《なかま》も寺錢《てらせん》で後《あと》買《か》あから、獨《ひとり》でむつゝりしてねえで一《ひと》つやらつせえね」と卯平《うへい》へ杯《さかづき》を侑《すゝ》めた。一|同《どう》の威勢《ゐせい》が漸次《しだい》に卯平《うへい》の心《こゝろ》を惹《ひ》き立《た》てゝ到頭《たうとう》彼《かれ》の大《おほ》きな手《て》に茶碗《ちやわん》を執《と》らせた。婆《ばあ》さん等《ら》の袂《たもと》が觸《ふ》れて輕《かる》く成《な》つてた徳利《とくり》が倒《たふ》された。婆《ばあ》さん等《ら》は慌《あわ》てゝ手拭《てぬぐひ》でふかうとした。小柄《こがら》な爺《ぢい》
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