でも嫌《きれ》えだから」小柄《こがら》な爺《ぢい》さんは直《すぐ》に呶鳴《どな》つた。
「俺《お》らはあ錢《ぜね》も有《あ》りもしねえで」卯平《うへい》は他人《ひと》の騷《さわ》ぎに釣《つ》り込《こ》まれようとするよりも、自分《じぶん》の心裏《しんり》の或《ある》物《もの》を漸《やつ》とのこと吐《は》き出《だ》さうとするやうに呟《つぶや》いた。
「又《また》さうだこつたから仕《し》やうねえ、勘次等《かんじら》懷工合《ふところぐえゝ》えゝつちんだから、要《え》らば何《なん》でも、汝《わ》れよこせつと斯《か》ういふんだ。管《かま》あねえから奪取《ふんだく》つてやれ、俺《お》らだらさうだ、いや本當《ほんたう》だとも、聟《むこ》なんぞに威張《えば》られてるなんちこと有《あ》るもんか、卯平等《うへいら》根性《こんじよう》薄弱《やくざ》だから仕《し》やうねえ」小柄《こがら》な爺《ぢい》さんは髮《かみ》を一|杯《ぱい》に汗《あせ》で濕《うるほ》した。
「威張《えば》らツる理由《わけ》ぢやねえが、俺《お》ら俺《お》れでやんべと思《おも》つてんだから」卯平《うへい》は自分《じぶん》を庇護《ひご》するやうにいつた。
「聟《むこ》なんぞ、承知《しようち》するもんぢやねえ、あゝだ泥棒野郎《どろぼうやらう》、俺《お》ら嫌《きれ》えだ、畑《はたけ》でも田《た》でも油斷《ゆだん》なんねえから」
「そんだが、今《いま》ぢや懷《ふところ》ちつたえゝ所爲《せえ》か盜《と》るな盜《と》んねえよ」
「なあに俺《お》れ、蜀黍《もろこし》伐《き》つた時《とき》にや勘辨《かんべん》しめえと思《おも》つたんだつけがお内儀《かみ》さんに來《き》らツたから我慢《がまん》したんだ、俺《お》れ卯平《うへい》だら槍《やり》で突《つ》つ刺《ぶ》してやんだ、いや俺《お》れにや本當《ほんたう》に行《や》られつとも、俺《お》ら家族《うち》の奴等《やつら》げなんざぐづ/\は云《や》あせねえだ、俺《お》ら家《ぢ》ぢや元日《ぐわんじつ》にや闇《くれ》えに起《お》きて、蓑《みの》着《き》て、圍爐裏端《ゐろりばた》で芋《いも》燒《や》えてくふ縁起《えんぎ》なんだが、俺《お》ら家《ぢ》の奴等《やつら》外聞《げえぶん》惡《わり》いから厭《や》だなんて吐《ぬ》かしやがつから、俺《お》れ、何《なん》だとう汝《わ》ツ等《ら》、厭《や》だつちんだら厭《や》だつて今《いま》一|遍《ぺん》云《ゆ》つて見《み》ろ、俺《お》れ目玉《めだま》の黒《くれ》え内《うち》やさうはえがねえぞつちんだから、いや本當《ほんたう》に俺《お》ら聽《き》かねえだから」彼《かれ》は髮《かみ》が餘計《よけい》に濕《うるほ》ひを増《ま》して悉皆《みんな》の耳《みゝ》の底《そこ》に徹《とほ》る程《ほど》呶鳴《どな》つて見《み》せた。
「おめえ見《み》てえにさうは行《い》かねえよ、他人《たにん》は」卯平《うへい》はぽさりといつた。
「本當《ほんたう》におめえ見《み》てえなもなねえよ、若《わ》けえ時《とき》から毎晩《まいばん》酩酊《よつぱら》つちや後夜《ごや》が鷄《とり》でも構《かま》あねえ馬《うま》曳《ひい》て歸《けえ》つちや戸《と》の割《わ》れる程《ほど》叩《たゝ》いて、さうしちや馬《うま》の裾湯《すそゆ》沸《わ》えてねえつて云《ゆ》つちや家族《うち》の者《もの》こと追《お》ひ出《だ》してなあ、百姓《ひやくしやう》はおめえ夜中《よなか》まで眠《ねむ》んねえで待《ま》つちや居《ゐ》らんねえな、そんだがおめえも相續人《さうぞくにん》善《よ》く出來《でき》て仕合《しあはせ》だよなあ」側《そば》に居《ゐ》て先刻《さつき》から聞《き》いて居《ゐ》た婆《ばあ》さんの一人《ひとり》がいつた。其《そ》の服裝《なり》は他《た》の老人等《としよりら》とは異《ちが》つて居《ゐ》た。
「俺《お》れにや打《ぶ》ち出《だ》されつとも、此《こ》んで俺《お》ら力《ちから》は強《つを》かつたかんな、仕事《しごと》ぢや卯平《うへい》も強《つを》かつたが、かうだ大《えけ》え體格《なり》して相撲《すまふ》ぢや俺《お》れにやかたでぺた/\だ。俺《お》らやあつち内《うち》にや打《ぶ》ん投《な》げつちやあだから、あゝ、俺《お》ら腕《うで》ばかしぢやねえ、そらつ位《くれえ》だから齒《は》も強《つえ》えだよ、俺《お》ら麥打《むぎぶち》ん時《とき》唐箕《たうみ》立《た》てゝちや半夏桃《はんげもゝ》貰《もら》つたの、ひよえつと口《くち》さ入《せ》えたつきり、核《たね》までがり/\噛《かぢ》つちやつたな、奇態《きたい》だよそんだが桃《もゝ》噛《かぢ》つてつと鼻《はな》ん中《なか》さ埃《ほこり》へえんねえかんな、俺《お》れが齒《は》ぢや誰《た》れでも魂消《たまげ》んだから眞鍮《しんちう》の煙管《きせる》な
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