病氣《びやうき》なんぞにや負《ま》けらツるもんかつちんだから、其《そ》ん時《とき》にや村落中《むらぢう》かたではあ、みんなごろ/\してんで俺《お》ればかり藥箱《くすりばこ》持《も》つて醫者《いしや》の送迎《おくりむけ》えしたな、隣近所《となりきんじよ》一軒毎《えつけんごめら》役《やく》にや立《た》たねえだから、いや本當《ほんたう》だよ、俺《お》ら十五|日《んち》下痢《くだ》つて癒《なほ》つたが俺《お》ら強《つよ》かつたかんな、いや強《つえ》えとも全《まつた》く、なあにツちんで俺《お》れ毎日《まいんち》酒《さけ》ぴん飮《の》んだな、酒《さけ》飮《の》んぢや惡《わり》いなんて醫者《いしや》なんちや駄目《だめ》だなかたで、檳榔樹《びんらうじゆ》とか何《なん》とかだなんてちつとばかしづゝ、削《けづ》つた藥《くすり》なんぞ倦怠《まだるつこ》くつて仕《し》やうねえから、當藥《たうやく》煎《せん》じ出《だ》して氣日《まいんち》俺《お》れ片口《かたくち》で五|杯《へえ》づゝも飮《の》んだな、五|合《がふ》位《ぐれえ》へえつけべが、俺《お》ら呼吸《えき》つかずだ、なあに呼吸《えき》ついちや苦《にが》くつて仕《し》やうねえだよ」と彼《かれ》は穢《きたな》い手拭《てぬぐひ》で顏《かほ》の汗《あせ》を一|度《ど》ふいた。彼《かれ》は七十を越《こ》えても髮《かみ》はまだ幾《いく》らも白《しろ》くなかつた。彼《かれ》は石《いし》の塊《かたまり》を投《な》げ出《だ》したやうな堅《かた》い身體《からだ》に力《ちから》を入《い》れて獨《ひと》り威勢《ゐぜい》づいた。
「俺《お》らそれから五|百匁《ひやくめ》位《ぐれえ》な軍鷄雜種《しやもおとし》一|羽《ぱ》引《ひ》つ縊《くゝ》つて一|遍《ぺん》に食《く》つちまつたな、さうしたら熱《ねつ》出《で》た」彼《かれ》は俄《にはか》に聲《こゑ》を低《ひく》くしたが、更《さら》に以前《いぜん》に還《かへ》つて
「熱《ねつ》は出《で》たがそれで俺《お》れぐつと身體《からだ》にや力《ちから》つけつちやつたな、其《そ》の所爲《せゐ》だな十五|日《んち》で癒《なほ》つたな、そんだから俺《お》ら直《す》ぐに麥《むぎ》の八|斗《と》はずん/\搗《つ》けたな、俺《お》らこんで體格《なり》はちつちえが強《つを》かつたな、俺《お》らがな無垢《むく》に強《つえ》えのがだから、いや本當《ほんたう》だよ、卯平等《うへいら》も仕事《しごと》ぢや強《つを》かつたが、そりや強《つえ》えとも、そんだが此《こ》ら根性《こんじやう》やくざだから、疫病《やくびやう》くつゝいて太儀《こは》くつて仕《し》やうねえなんて、それから俺《お》れ、確乎《しつかり》しろツちへばどうも下痢《くだ》つちや力《ちから》拔《ぬ》けて仕《し》やうねえ、うん/\なんて唸《うな》つて、そんだがあん時《とき》にや嚊《かゝあ》は可哀相《かはいさう》なことしたな世間《せけん》の奴等《やつら》卯平《うへい》は嚊《かゝあ》に崇《とつつか》れべえなんちから心配《しんぺえ》すんなつて俺《お》れ云《ゆ》つたんだな、そんだが此《こ》ら根性《こんじやう》ねえから、俺《お》ら心配《しんぺえ》するもな大嫌《だえきれえ》だ、それ、心配《しんぺえ》しねえで一|杯《ぺえ》引《ひ》つ掛《か》けろつちんだ」爺《ぢい》さんは幾《いく》らでも乘地《のりぢ》になつてまくしかけた。
「さうだよおめえ、酒《さけ》の座敷《ざしき》でむつゝりしてるもな有《あ》るもんぢやねえ」
「婆《ばあ》さまの手《て》だつておめえ酒《さけ》ぢや酩酊《よつぱら》あからやつて見《み》さつせえよ」婆《ばあ》さん等《ら》は側《そば》から交互《たがひ》に杯《さかづき》を侑《すゝ》めた。彼等《かれら》は情《なさけ》なげな卯平《うへい》を慰《なぐさ》めようとするよりも、獨《ひとり》むつゝりとして居《ゐ》る彼《かれ》を伴侶《なかま》に引《ひ》つ込《こ》まうといふのと、變《かは》つて居《ゐ》る彼《かれ》の容子《ようす》に對《たい》して揶揄《からか》つても見《み》たいからとであつた。
「俺《お》ら錢《ぜね》出《だ》しもしねえで、他人《ひと》の酒《さけ》なんぞ」卯平《うへい》は口《くち》が粘《ねば》つて舌《した》が硬《こは》ばつたやうにいつた。
「おめえ管《かま》あもんぢやねえな、其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《そんな》こと」婆《ばあ》さん等《ら》は又《また》いつた。
「酒代《さかで》足《た》んなけりや、こつちの方《はう》に寺錢《てらせん》出來《でき》てるよおめえ等《ら》」寶引《はうびき》の仲間《なかま》がこちらを顧《かへり》みていつた。
「要《え》らねえともそんな錢《ぜね》なんざ、俺《お》ら博奕《ばくち》なんざ何《なん》
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