「そんなんぢやねえのとれな」勘次《かんじ》は大《おほ》きなのを選《えら》んで三つとつた。卵《たまご》の皮《かは》には手《て》の鹽《しほ》が少《すこ》し附《つ》いた。
「そんぢやそれ掛《か》けてんべ」商人《あきんど》は今度《こんど》は眞鍮《しんちう》の皿《さら》へ卵《たまご》を乘《の》せて
「こつちなんぞぢや、後《あと》幾《いく》らでも出來《でき》らあな」といひながらたどり[#「たどり」に傍点]を持《も》つた。卵《たまご》が少《すこ》し動《うご》くと秤《はかり》の棹《さを》がぐら/\と落付《おちつ》かない。
「誤魔化《ごまくわ》しちや厭《や》だぞ」お品《しな》は寂《さび》しく笑《わら》ひながらいつた。
「どうしておめえ、此《こ》の秤《はかり》なんざあ檢査《けんさ》したばかりだもの一|分《ぶ》でも此《こ》の通《とほ》り跳《は》ねたり垂《た》れたりして、どうして飛《と》んだ噺《はなし》だ」商人《あきんど》は分銅《ふんどう》の手《て》を抑《おさ》へて又《また》目《め》を讀《よ》んだ。
「五十|匁《もんめ》一|分《ぶ》だな、さうすつと一《ひと》つ十六|匁《もんめ》七|分《ぶ》づゝだ、大《え》けえからな」
「鹽《しほ》がくつゝいてつから鹽《しほ》の目方《めかた》もあんぞ」勘次《かんじ》は側《そば》からいつて笑《わら》つた。商人《あきんど》は平然《へいぜん》として居《ゐ》る。
「五|錢《せん》五|厘《りん》六|毛《まう》幾《いく》らつていふんだ、さうすつと先刻《さつき》のは幾《いく》らの勘定《かんぢやう》だつけな」
「四十六|錢《せん》八|厘《りん》幾《いく》らとか言《いつ》たつけな」お品《しな》は直《すぐ》にいつた。
「それぢや差引《さしひき》四十一|錢《せん》三|厘《りん》小端《こばし》か、こつちのおつかさま自分《じぶん》でも商《あきねえ》してつから記憶《おべえ》がえゝやな」商人《あきんど》は十露盤《そろばん》を持《も》つて
「どうしたえ、鹽梅《あんべえ》でも惡《わり》いやうだが風邪《かぜ》でも引《ひ》いたんぢやあんめえ」といつた。
「うむ、少《すこ》し惡《わる》くつて仕《し》やうねえのよ」お品《しな》はいつて
「小端《こばし》は幾《いく》らになんでえ」と更《さら》に聞《き》いた。
「勘定《かんぢやう》にや成《な》んねえなどうも、近頃《ちかごろ》は仕《し》やうねえよ文久錢《ぶんきうせん》だの青錢《あをせん》だのつちうのが薩張《さつぱり》出《で》なくなつちやつてな、それから何處《どこ》へ行《い》つても恁《かう》して置《お》くんだ」商人《あきんど》がぼて笊《ざる》から燐寸《マツチ》を出《だ》さうとすると
「又《また》燐寸《マツチ》ぢやあんめえ」お品《しな》は微笑《びせう》した。
「こまけえ勘定《かんぢやう》にや近頃《ちかごろ》燐寸《マツチ》と極《き》めて置《お》くんだが、何處《どこ》の商人《あきんど》もさうのやうだな」商人《あきんど》は卵《たまご》を笊《ざる》へ入《い》れながらいひ續《つゞ》けた。
「酷《ひど》く安《やす》くなつちやつたな、寒《さむ》く成《な》つちや保存《もち》がえゝのに却《けえつ》て安《やす》いつちうんだから丸《まる》で反對《あべこべ》になつちやつたんだな」勘次《かんじ》は青菜《あをな》を桶《をけ》へ並《なら》べつゝいつた。
「上海《シヤンハイ》がへえつちやぐつと値《ね》が下《さが》つちやつてな、あつちぢやどれ程《ほど》安《やす》いもんだかよ、品《しな》が少《すく》ねえ時《とき》に安《やす》くなるつちうんだから商人《あきんど》も儲《まう》からねえ」天秤《てんびん》を擔《かつ》いで彼《かれ》は又《また》更《さら》に
「相場《さうば》が下《さ》げ氣味《ぎみ》の時《とき》にやうつかりすつと損物《そんもの》だかんな、なんでも百姓《ひやくしやう》して穀《こく》積《つ》んで置《お》く者《もの》が一|等《とう》だよ、卵拾《たまごひろ》ひもなあ、赤痢《せきり》でも流行《はや》つて來《き》てな、看護婦《かんごふ》だの巡査《じゆんさ》だの役場員《やくばゐん》だのつちう奴等《やつら》病人《びやうにん》の口《くち》でもひねつてみつしり喰《く》つてゞも呉《く》んなくつちや商人《あきんど》は駄目《だめ》だよ」商人《あきんど》は行《ゆ》き掛《か》けて
「また溜《た》めて置《お》いておくんなせえ」今度《こんど》は少《すこ》し叮寧《ていねい》にいひ捨《す》てゝ去《さ》つた。
 お品《しな》は錢《ぜに》を蒲團《ふとん》の下《した》の巾着《きんちやく》へ入《い》れた。さうして※[#「竹かんむり/(目+目)/隻」、第4水準2−83−82]棚《わくだな》からまるめ[#「まるめ」に傍点]箱を卸《おろ》して三つの白《しろ》い卵《たまご》を入《い》れた。以前《いぜん
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