ん》に加《くは》はることは出來《でき》ないのであつた。百姓《ひやくしやう》は泣《な》けば泣《な》く程《ほど》手《て》を緩《ゆる》めた。醫者《いしや》はそれで徒勞《むだ》だといつた。百姓《ひやくしやう》は只《たゞ》蒼《あを》い顏《かほ》をしてぼつとして居《ゐ》るのみであつた。
 醫者《いしや》は更《さら》に家族《かぞく》に命《めい》じて近所《きんじよ》の壯者《わかもの》を喚《よ》びにやつた。
「木《き》から落《おつこ》つたな」醫者《いしや》は百姓《ひやくしやう》に聞《き》いた。
「えゝ、わしやはあ、どうしてえゝもんだか分《わか》んねえから畑《はたけ》耕《うな》つてた儘《まゝ》衣物《きもの》も着《き》ねえで斯《か》うして負《おぶ》つて來《き》たんだが」と百姓《ひやくしやう》はいつて、それから
「わし※[#「柿」の正字、第3水準1−85−57]《かき》の木《き》さ登《のぼ》んな見《み》てたんだつけが、落《おつこ》つたから驅《か》けてつて見《み》たら、目《めえ》引《ひ》つゝけつちやつて、そんでも暫《しばら》く經《た》つたら泣《な》き出《だ》したんでわし抱《だ》き起《おこ》して手《て》へ觸《さは》つたら、痛《い》てえ/\つちから捲《まく》つて見《み》たら、斯《か》うぶらんと成《な》つたつ切《きり》でわしもはあ、魂消《たまげ》つちやつて」百姓《ひやくしやう》は只管《ひたすら》に慌《あわ》てゝいつた。
「本當《ほんたう》に此處《こゝ》へ來《き》て居《ゐ》ちや毎日《まいんち》のやうに木《き》から落《おつこ》つたつち怪我人《けがにん》が來《く》んだよまあ、椎《しひ》の木《き》から落《おつこ》つたの栗《くり》の木《き》から落《おつこ》つたのつて、子供《こども》の怪我《けが》は大概《てえげえ》さうなんだから、男《をとこ》つ子《こ》持《も》つちや心配《しんぺえ》さねえ、そんだがこれ、怪我《けが》つちや過《えゝまち》だから、わし等《ら》も下駄《げた》穿《は》きながらひよえつと轉《ころ》がつた丈《だけ》で手《て》つ首《くび》折《をつちよ》れたんだなんて」と側《そば》に居《ゐ》た婆《ばあ》さんがいつた。
「わし等《ら》がも毎日《まいんち》のやうに※[#「柿」の正字、第3水準1−85−57]《かき》の木《き》さ登《のぼ》つてゝ木登《きのぼ》りは上手《じやうず》なんだから、それも雨《あめ》でも降《ふ》つたばかしならつる/\して足《あし》引《ひ》つ掛《かゝ》んねえもんだが雨《あめ》は降《ふ》んねえし、そんなこたねえ筈《はず》なんだが、攫《つかま》つてた枝《えだ》ん處《とこ》に蛇《へび》居《ゐ》たとかつて慌《あわ》くつておりべと思《おも》つたつちんだから、いつでもはあ枝《えだ》なんざがさがさやつて天邊《てつぺん》の方《はう》で呶鳴《どな》つたりなにつかしてたんだつけが、かさあつちのが酷《ひど》く變《へん》な音《おと》だと思《おも》つて見《み》る内《うち》にや落《おつこち》んな早《は》えゝもんで、困《こま》つたこと出來《でき》たのせ」百姓《ひやくしやう》は乘地《のりぢ》になつていひ續《つゞ》けた。勘次《かんじ》は恐怖《きようふ》の目《め》を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》つて耳《みゝ》を傾《かたむ》けた。
「※[#「柿」の正字、第3水準1−85−57]《かき》の木《き》さ蛇《へび》があがるやうぢや雨《あめ》でもまた降《ふ》らなけりやえゝが、百姓《ひやくしやう》にや大事《でえじ》な處《ところ》なんだからまあ、ちつと續《つゞ》けさせてえもんだが」側《そば》から又《また》一人《ひとり》の怪我人《けがにん》が口《くち》を添《そ》へた。勘次《かんじ》は又《また》其《そ》の噺《はなし》を聞《き》きながら定《さだ》まりない天候《てんこう》の變化《へんくわ》を案《あん》じた。
 軈《やが》て近所《きんじよ》の壯者《わかもの》が來《き》て以前《いぜん》の如《ごと》く怪我人《けがにん》を懷《だ》いた。醫者《いしや》は先刻《さつき》のやうにして怪我《けが》人の恐怖《きようふ》した顏《かほ》を見《み》ながら口《くち》を締《し》めてぎつと其《そ》の手《て》を曳《ひ》いた。怪我人《けがにん》の手《て》はぼぎつと恐《おそ》ろしい音《おと》を立《たて》た。怪我人《けがにん》は只《たゞ》泣《な》き號《さけ》んだ。
「よし/\癒《なほ》つちやつた」醫者《いしや》は手《て》を放《はな》つて、太《ふと》い軟《やは》らか相《さう》な指《ゆび》の腹《はら》で暫《しばら》く揉《も》むやうにしてそれから藥《くすり》を塗《ぬ》つた紙《かみ》を一|杯《ぱい》に貼《は》つて燭奴《つけぎ》のやうな薄《うす》い木《き》の板《いた》を當《あ》てゝぐるりと繃帶《ほうたい》を施《ほどこ》した。
「どのつ位《くれ
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