かんじ》は庭《には》から偸《ぬす》むやうに視《み》ては卯平《うへい》がおつたへ威勢《ゐせい》をつけて居《ゐ》るやうに思《おも》つた。彼《かれ》は解《と》いて打《う》つて更《さら》に藁《わら》で括《くゝ》つた蕎麥《そば》の束《たば》をどさりと遠《とほ》くへ擲《はふ》つた。葉《は》が更《さら》にぐつたりと萎《しを》れた鳳仙花《ほうせんくわ》の枝《えだ》がすかりと裂《さけ》て先《さき》が地《ち》についた。
「※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、292−2]等《あねら》、大層《たえそ》なこと云《ゆ》つたつて、老人《としより》の面倒《めんだう》見《み》たゝ云《ゆ》へめえ」勘次《かんじ》はぶつ/\と獨語《どくご》した。おつたの耳《みゝ》にも微《かす》かにそれが聞《きこ》えた。おつたは屹《きつ》と見《み》た。
「おとつゝあ默《だま》つてるもんだ」おつぎは輕《かる》く勘次《かんじ》を制《せい》して
「お晝餐《ひる》だぞはあ」とおつぎは更《さら》に勘次《かんじ》へ注意《ちうい》した。
「そんぢやこつちのおとつゝあん、お八釜敷《やかまし》がした、わしや歸《けえ》りませうはあ、一|刻《こく》も居《ゐ》ちや邪魔《じやま》でがせうから、こつちのおとつゝあんも邪魔《じやま》に成《な》んねえ方《はう》がようがすよねえ」おつたは洋傘《かさ》を開《ひら》いて
「岡目《をかめ》でも知《し》れまさあねえ、假令《たとひ》どうでも俵《たはら》まで持《も》つてられて、辨償《まよ》つて見《み》た處《ところ》で三十|錢《せん》か五十|錢《せん》のことだんべぢやねえか、出來《でき》るも出來《でき》ねえもあるもんぢやねえ」とおつたは忌々敷《いま/\し》さに其《そ》の口《くち》を止《と》めなかつた。
「お晝餐《ひる》はどうでがすね」おつぎはそれでも怖《お》づ/\おつたへいつた。
「俺《お》ら、はあ要《え》らねえともね」おつたは蕎麥《そば》の種子《み》の一|杯《ぱい》に散《ち》らけた庭《には》を遠慮《ゑんりよ》もなく一|直線《ちよくせん》に不駄《げた》の跡《あと》をつけた。
「勘次等《かんじら》、親子《おやこ》仲《なか》よくつてよかんべ、世間《せけん》の聞《きこ》えも立派《りつぱ》だあ、親身《しんみ》のもなあ、お蔭《かげ》で肩身《かたみ》が廣《ひろ》くつてえゝや」おつたは庭《には》の出口《でぐち》から一寸《ちよつと》顧《かへり》みていつた。さうしてさつさと行《い》つて畢《しま》つた。隣《となり》の庭《には》の麥打《むぎうち》の連中《れんぢう》は、靜《しづ》かになつたこちらの庭《には》を嘲《あざけ》るやうに騷《さわ》いでは又《また》騷《さわ》ぐのが聞《きこ》えた。勘次《かんじ》は只《ただ》力《ちから》を極《きは》めて蕎麥《そば》の幹《から》を打《う》つて遂《つひ》に一|言《ごん》も吐《は》かなかつた。おつぎは垣根《かきね》の上《うへ》に浮《うか》んだおつたの洋傘《かさ》が見《み》えなくなるまで暫《しばら》くぽつさりとして庭《には》に立《たつ》た。卯平《うへい》は煙管《きせる》を噛《か》んだ儘《まゝ》凝然《ぢつ》として默《だま》つて居《ゐ》た。卯平《うへい》は暫《しばら》くして鳳仙花《ほうせんくわ》の折《を》れたのを見《み》つけて井戸端《ゐどばた》へ立《た》つた。彼《かれ》はいきなり蕎麥幹《そばがら》の束《たば》を大《おほ》きな足《あし》で蹴《け》つた。彼《かれ》は更《さら》に短《みじか》い竹《たけ》の棒《ぼう》を持《も》つて行《い》つてきつと力《ちから》を極《き》めて地《ち》に突《つ》き透《とほ》した。垂《た》れた鳳仙花《ほうせんくわ》の枝《えだ》は竹《たけ》の杖《つゑ》に縛《しば》りつけようとして手《て》を觸《ふ》れたらぽろりと莖《くき》から離《はな》れて畢《しま》つた。卯平《うへい》は忌々敷相《いまいましさう》に打棄《うつちや》つた。卯平《うへい》がのつそりと大《おほ》きな躯幹《からだ》を立《た》てた傍《そば》に向日葵《ひまはり》は悉《ことごと》く日《ひ》に背《そむ》いて昂然《かうぜん》として立《た》つて居《ゐ》る。向日葵《ひまはり》は蕾《つぼみ》が非常《ひじやう》に膨《ふく》れて黄色《きいろ》に成《な》つてから卯平《うへい》が植《う》ゑたのであつた。其《そ》の時《とき》はもう蕾《つぼみ》はどうしても日《ひ》のいふこと聽《き》いて動《うが》かないので、暑《あつ》いさうして乾燥《かんさう》の烈《はげ》しい日《ひ》がそれを憎《にく》んで硬《こは》い下葉《したば》をがさ/\に枯《か》らした。それでも強《つよ》い莖《くき》はすつと立《た》つて、大抵《たいてい》はがつかりと暑《あつ》さに打《う》たれて居《ゐ》る草木《さうもく》の間《あひだ》に誇《ほこ》つたや
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