から見《み》ろうあれ、隣《となり》の旦那等《だんなたち》だつて今頃《いまごろ》麥《むぎ》打《ぶ》つてる騷《さわ》ぎだあ、百姓《ひやくしやう》は此《こ》の頃《ごろ》の時節《じせつ》に餘計《よけい》な暇《ひま》なんざねえから」勘次《かんじ》は呟《つぶや》くやうにいつた。
隣《となり》の庭《には》では先刻《さつき》よりも更《さら》に勢《いきほひ》がついた樣《やう》に連枷《ふるぢ》の響《ひゞき》が囃《はやし》の聲《こゑ》を伴《ともな》ひつゝ森《もり》を洩《も》れて聞《きこ》えた。
「うむ、たえした挨拶《あいさつ》だな、俺《お》らまた※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、290−4]弟《きやうでえ》つちやさうえもんぢやあんめえと思《おも》つてたんだつけな」おつたは少《すこ》し勃然《むつ》とした容子《ようす》を見《み》せた。
「※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、290−6]等《あねら》が云《い》ふこと聽《き》いたつ位《くれえ》どんなことされつか分《わか》んねえから」勘次《かんじ》は自棄《やけ》に蕎麥《そば》の幹《から》を打《う》ちつけ/\しつゝいつた。彼《かれ》は而《さう》して一目《ひとめ》もおつたを見《み》なかつた。
「什※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《どんな》ことするつて俺《お》ら泥棒《どろぼう》はしねえぞ、勘次《かんじ》」其《そ》の切《き》れた目尻《めじり》に一|種《しゆ》の凄味《すごみ》を持《も》つておつたが立《た》つた時《とき》、卯平《うへい》はのつそりと戸口《とぐち》に大《おほ》きな躯幹《からだ》を運《はこ》ばせた。
卯平《うへい》はおつたを見《み》て例《いつも》の如《ごと》く窪《くぼ》んだ茶色《ちやいろ》の目《め》を蹙《しが》める樣《やう》にした。
「おやこつちのおとつゝあん、暫《しばら》くでがしたねどうも、御機嫌《ごきげん》よろしがすね」おつたはそら/″\しい程《ほど》打《う》つて變《かは》つた調子《てうし》でいつた。
「まあこつちへでも來《き》さつせえね」卯平《うへい》は隱居《いんきよ》へおつたを導《みちび》いた。
「俺《お》らいま外《ほか》から歸《けえ》つて來《き》たばかしだが、何《なん》でがすね」卯平《うへい》はぶすりと聞《き》いた。
「ほんにはあ、他人《ひと》にや聞《き》かせたくもねえこつたがねえ、わしもそれ盲目《めくら》の野郎《やらう》が一人《ひとり》あんだが、これ三十|近《ちか》くにもなるものをねえ、只《たゞ》打棄《うつちや》つても置《お》けねえから嫁《よめ》とらせべと思《おも》つて、えゝ鹽梅《あんべえ》のがそれ口《くち》掛《かゝ》つたもんだから勘次《かんじ》げも一|噺《はなし》すべと思《おも》つて來《き》た處《ところ》なのさ、わしもこんで義理《ぎり》は缺《か》くの厭《や》だかんね」
「さうしたら此《こ》の村落《むら》にえゝ鹽梅《あんべえ》の家《うち》あるもんだから借《か》りて身上《しんしやう》持《も》たせべと思《おも》つて保證《ほしよう》に立《た》つてくろつちつた處《ところ》がたえした挨拶《あいさつ》なのさ、三十|錢《せん》か五十|錢《せん》の家賃《やちん》をねえ、不便《ふびん》だんべぢやねえかねえ不具《かたわ》の甥《おひ》つ子《こ》のことをねえ、保證《ほしよう》に立《た》つた位《くれえ》身上《しんしやう》潰《つぶ》れるつち挨拶《あいさつ》なのさ、ねえこれ、年齡《とし》とつちやこつちのおとつゝあん先《さき》も短《みじ》けえのに心底《しんてえ》のえゝものでなくつちや、萬一《まさか》の時《とき》が心配《しんぺえ》だからねえ、後《あと》の者《もの》の厄介《やくけえ》に成《な》りてえつちな皆《みんな》おんなじだんべぢやねえか、ねえこつちのおとつゝあんさうでがせう、そんでそれ娵《よめ》つちのが心底《しんてえ》のえゝ女《をんな》だつちんだからわしも欲《ほ》しいのさ本當《ほんたう》の噺《はなし》がねえ、さう云《ゆ》つちや我慾《がよく》の樣《やう》だがおんなじもんなら軟《やつ》けえ言辭《ことば》でも掛《か》けてくれる嫁《よめ》でなくつちやねえ、さうぢやあんめえかね」おつたは狹《せま》い戸口《とぐち》に立《た》つた儘《まゝ》洋傘《かさ》の先《さき》で土《つち》へ穴《あな》を穿《うが》ちながら勘次《かんじ》の方《はう》をぢろつと見《み》つゝいきり立《た》つていつた。
「そりや、はあ、さうだが」只《たゞ》此《これ》だけいつて寡言《むくち》な卯平《うへい》は自分《じぶん》の意《い》を得《え》たといふ樣《やう》に始終《しじう》窪《くぼ》んだ目《め》を蹙《しが》めて手《て》からは煙管《きせる》を放《はな》さなかつた。勘次《
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