よ》くまあかういに作《つく》つたつけな、俺《お》らもはあ、好《す》きは好《す》きだが自分《じぶん》ぢやそつちだこつちだで作《つく》れねえもんだ、此《こ》れまあ朝《あさ》つぱら凉《すゞ》しい内《うち》に見《み》たらどら程《ほど》えゝこつたかよ」おつたは濕《しめ》つた手拭《てぬぐひ》を幾《いく》つかに折《を》つて手《て》に攫《つか》んだ儘《まゝ》、栗《くり》の木《き》の側《そば》に置《お》いた洋傘《かうもり》を窄《つぼ》めてゆつくりと家《うち》へ這入《はひ》つた。おつぎは茶《ちや》を沸《わか》す火《ひ》の爲《ため》に汗《あせ》が更《さら》に湧《わ》いたのを手拭《てぬぐひ》でふいて、それから亂《みだ》れた髮《かみ》に櫛《くし》を入《いれ》て更《さら》に丁寧《ていねい》に手拭《てぬぐひ》を被《かぶ》つてさうしておつたを喚《よ》んだのであつた。おつたは何處《どこ》か落付《おちつ》かぬ容子《ようす》で洋傘《かうもり》も外《そと》の壁際《かべぎは》に立《た》て掛《かけ》て閾《しきゐ》を跨《また》いだ。
「お暑《あつ》うござんすねどうも」おつぎは襷《たすき》をとつて時儀《じぎ》を述《の》べながらおつたへ茶《ちや》を侑《すゝ》めた。三|人《にん》は暫《しばら》く沈默《ちんもく》して居《ゐ》た。
東隣《ひがしどなり》の庭《には》からは大勢《おほぜい》が揃《そろ》つて連枷《ふるぢ》で麥《むぎ》を打《う》つて居《ゐ》る響《ひゞき》が、森《もり》を透《とほ》して夫《それ》からどろり/\と地《ち》を搖《ゆす》つて聞《きこ》えた。自分等《じぶんら》が立《た》てる響《ひゞき》に誘《さそ》はれて騷《さわ》ぐ彼等《かれら》の極《きま》つた囃《はやし》の聲《こゑ》が「ほうい/\」と一人《ひとり》の口《くち》からさうして段々《だん/\》と各自《めいめい》の口《くち》から一|齊《せい》に迸《ほとばし》つて愉快相《ゆくわいさう》に聞《きこ》えた。三|人《にん》の耳《みゝ》は同《おな》じく誘《さそ》はれた樣《やう》に一|種《しゆ》の調子《てうし》を持《も》つた隣《となり》の庭《には》の響《ひゞき》に耳《みゝ》を傾《かたむ》けつゝ沈默《ちんもく》の時間《じかん》を繼續《けいぞく》した。おつたは茶柱《ちやばしら》の立《た》つた茶碗《ちやわん》の中《なか》を見《み》てそれから一寸《ちよつと》嫣然《につこり》として見《み》たり、庭《には》の方《はう》を見《み》たりして居《ゐ》た。おつたが庭《には》を見《み》ると勘次《かんじ》は幾年《いくねん》も遭《あ》はなかつた※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、280−13]《あね》の容子《ようす》を有繋《さすが》にしみ/″\と見《み》るのであつた。おつたは五十を幾《いく》つも越《こ》えて居《ゐ》る。小柄《こがら》な少《すこ》しくり/\と丸《まる》みを持《も》つた顏《かほ》は、年齡程《としほど》には見《み》えないにしても漸《やうや》く深《ふか》い皺《しわ》が刻《きざ》んで居《ゐ》るのに、髮《かみ》は恐《おそ》ろしくつや/\として居《ゐ》る。おつたは髮《かみ》を染《そ》めて居《ゐ》た。然《しか》し藥《くすり》の力《ちから》は肌膚《はだ》を透《とほ》して其《そ》の下《した》にまで及《およ》ぼすことは出來《でき》なかつた。髮《かみ》は染《そ》めてから暫《しばら》く經《た》つたと見《み》えて一|帶《たい》に肌膚《はだ》についた僅《わづか》の部分《ぶぶん》が髮《かみ》の凡《すべ》てをそつくり突《つ》き扛《あ》げた樣《やう》に仄《ほの》かに白《しろ》く見《み》えて居《ゐ》た。勘次《かんじ》は只《たゞ》響《ひゞき》を立《た》てながら容易《ようい》に冷《さ》めぬ熱《あつ》い茶碗《ちやわん》を啜《すゝ》つた。おつぎも幾年《いくねん》か逢《あ》はぬ伯母《をば》の人《ひと》なづこい樣《やう》で理由《わけ》の分《わか》らぬ樣《やう》な容子《ようす》を偸《ぬす》み視《み》た。
「夏蕎麥《なつそば》でもとれんなかうい鹽梅《あんべえ》ぢや粒《つぶ》も大《えけ》え樣《やう》だな」おつたは庭《には》を見《み》た儘《まゝ》復《ま》た第《だい》一に目《め》に觸《ふ》れる蕎麥《そば》に就《つい》ていつた。此方《こちら》へ向《む》いて居《ゐ》る二《ふた》つの臼《うす》の腹《はら》が、まだ先《さき》の軟《やはら》かな夏蕎麥《なつそば》の莖《くき》で薄青《うすあを》く染《そ》まつたのが見《み》えて居《ゐ》る。
「馬鹿《ばか》に降《ふ》つてばかし居《ゐ》た所爲《せゐ》か幹《から》ばかし延《の》びつちやつて、そんだがとれねえ方《はう》でもあんめえが、夏蕎麥《なつそば》とれる樣《やう》ぢや世柄《よがら》よくねえつちから、恁《こ》んなもなどうでもえゝやうなもんだが
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