の埃《ほこり》を洗《あら》ひ去《さ》つて居《ゐ》る。彼《かれ》はおつたの前《まへ》に其《そ》の暑相《あつさう》な身《み》を向《む》けた。
「どうしたつちこともねえがなよ、俺《お》らこつちの方《はう》通《とほ》つたもんだから一寸《ちよつくら》踏《ふ》ん掛《がゝ》つて見《み》た處《ところ》さ」おつたは何《なに》か理由《わけ》の有相《ありさう》な口吻《くちつき》で輕《かる》くいつた。
「俺《お》ら暫《しばら》くこつちへも來《き》なかつたつけが、此《こ》らおつぎぢやあんめえか、大層《たえそ》えゝ娘《むすめ》に成《な》つちやつたなあ、尤《もつと》もはあ恁《か》うい手合《てえ》はちつと見《み》ねえでちや分《わか》んなく成《な》んな直《すぐ》だかんな、其《そ》の割《わり》にしちや俺《お》ら見《み》てえなもな年齡《とし》はとんねえものさな」おつたは立《た》つた儘《まゝ》獨語《ひとりごと》の樣《やう》に、さうして少《すこ》し張合《はりあひ》のない樣《やう》に、何《なに》か噺《はなし》の端緒《いとぐち》でも求《もと》めたいといふ容子《ようす》で栗《くり》の木《き》の梢《こずゑ》からだらりと垂《たれ》てる南瓜《たうなす》の臀《しり》を見上《みあ》げながらいつた。
 おつぎは此《こ》の時《とき》菅笠《すげがさ》の端《はし》へ一寸《ちよつと》手《て》を掛《か》けておつたへ腰《こし》を屈《かゞ》めた。おつぎは白《しろ》い襦袢《じゆばん》の襟《えり》を覗《のぞ》かせて、單衣《ひとへ》の胸《むね》をきちんと合《あは》せて、さうして襷《たすき》と手刺《てさし》とで身《み》を堅《かた》めて、暑《あつ》いのにも拘《かゝは》らず女《をんな》の節制《たしなみ》を失《うしな》はなかつた。おつぎは蕎麥《そば》の手《て》を放《はな》して小走《こばし》りに驅《か》けて行《い》つた。菅笠《すげがさ》をとつてだらりと被《かぶ》つた手拭《てぬぐひ》を外《はづ》した時《とき》少《すこ》し亂《みだ》れた髮《かみ》がぐつしやりと汗《あせ》に濡《ぬ》れてげつそりと衰《おとろ》へたものゝ樣《やう》に覺《おぼ》えた。おつたは開《ひら》いた儘《まゝ》の洋傘《かうもり》を栗《くり》の木《き》の側《そば》へ仰向《あふむけ》に置《お》いて默《だま》つて井戸端《ゐどばた》へ行《い》つて手水盥《てうづだらひ》に一|杯《ぱい》の水《みづ》を汲《く》んだ。
「冷《つめ》たくつて本當《ほんと》に晴々《せえ/\》とえゝ水《みづ》ぢやねえか、俺《お》ら方《ほ》の井戸《ゐど》見《み》てえに柄杓《ひしやく》で汲《く》み出《だ》すやうなんぢや、ぼか/\ぬるまつたくつて」おつたは復《ま》た獨語《ひとりごと》をいつた。勘次《かんじ》は側《そば》を去《さ》つたおつたを棄《す》てゝ、然《しか》も氣《き》の乘《の》らぬ樣《やう》に又《また》蕎麥《そば》を臼《うす》へ打《う》ちつけ始《はじ》めた。おつたは汗沁《あせじ》みた手拭《てぬぐひ》を頻《しき》りにごし/\と揉《も》み出《だ》して首筋《くびすぢ》のあたりから一|帶《たい》に幾度《いくたび》となく拭《ぬぐ》つて手水盥《てうづだらひ》の水《みづ》を換《か》へた。暫《しばら》くして家《うち》の廂《ひさし》からは青《あを》い煙《けぶり》が偃《た》つてだん/\に薄《うす》い煙《けぶり》が後《あと》から/\と暑《あつ》い日《ひ》に消散《せうさん》した。
「おとつゝあ、お茶《ちや》沸《わ》いたぞ」おつぎは戸口《とぐち》へ出《で》て小聲《こごゑ》で勘次《かんじ》へ告《つ》げた。
「うむ」勘次《かんじ》は喉《のど》の底《そこ》でいつて
「※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、279−9]《あね》、お茶《ちや》沸《わ》いたとう」彼《かれ》は又《また》ぶすりといつて蕎麥《そば》の手《て》を止《や》めなかつた。
「お茶《ちや》おあがんなせえね」おつぎは勘次《かんじ》の尾《しり》に跟《つ》いて少《すこ》し聲高《こわだか》にいつた。おつたはぎりつと絞《しぼ》つた手拭《てぬぐひ》を開《ひら》いてばた/\と叩《たゝ》いた。井戸端《ゐどばた》にぼつさりと茂《しげ》りながら日中《につちう》の暑《あつ》さにぐつたりと葉《は》が萎《しを》れて居《ゐ》る鳳仙花《ほうせんくわ》の、やつと縋《すが》つて居《ゐ》る花《はな》が手拭《てぬぐひ》の端《はし》に觸《ふ》れてぼろつと落《お》ちた。側《そば》には長大《ちやうだい》な向日葵《ひまわり》が寧《むし》ろ毒々《どく/\》しい程《ほど》一|杯《ぱい》に開《ひら》いて周圍《しうゐ》に誇《ほこ》つて居《ゐ》る。草夾竹桃《くさけふちくたう》の花《はな》がもさ/\と茂《しげ》つた儘《まま》向日葵《ひまわり》の側《そば》に列《れつ》をなして居《ゐ》る
「能《
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