を繼續《けいぞく》して針仕事《はりしごと》を勵《はげ》む餘裕《よゆう》がなく漸《やうや》く手《て》についたかと思《おも》ふと途中《とちう》を切《き》つたり止《や》めたりするので思《おも》ふ樣《やう》な上達《じやうたつ》はなかつた。おつぎは暇《ひま》を偸《ぬす》んでは一|生懸命《しやうけんめい》で針《はり》を執《と》つた。卯平《うへい》がのつそりとして箸《はし》を持《も》つのは毎朝《まいあさ》こせ/\と忙《いそが》しい勘次《かんじ》が草鞋《わらぢ》を穿《はい》て出《で》ようとする時《とき》である。おつぎは卯平《うへい》の爲《ため》に火鉢《ひばち》へ※[#「火+畏」、第3水準1−87−57]《おき》を活《い》けてやつたり、お鉢《はち》を側《そば》へ供《そな》へたりするので幾《いく》らか時間《じかん》が後《おく》れる。さうすると勘次《かんじ》は擔《かつ》いだ唐鍬《たうぐは》をどさりと置《お》いたり、閾《しきゐ》を出《で》たり這入《はひ》つたり、唯《たゞ》忸怩《もぢ/\》として居《ゐ》ては、口《くち》に出《だ》せない或《ある》物《もの》を包《つゝ》むやうな恐《おそ》ろしい權幕《けんまく》でおつぎを見《み》る、勘次《かんじ》はそれでも慊《あきた》らないでおつぎの姿《すがた》が戸口《とぐち》を出《で》るまでは庭《には》に立《た》つて居《ゐ》ることもある。勘次《かんじ》は毎朝《まいあさ》出《で》て行《ゆ》く方面《はうめん》が異《ことな》つて居《ゐ》るにも拘《かゝは》らず、同時《どうじ》に立《た》つて行《ゆ》くのを見《み》なければ心《こゝろ》が濟《す》まないのであつた。毎朝《まいあさ》さうするので
「おとつゝあは行《い》けな、爺《ぢい》こと見《み》てやんなくつちや成《な》んめえな」おつぎは竊《ひそか》に勘次《かんじ》を窘《たしな》めていふことがある。勘次《かんじ》は恐《おそ》ろしい權幕《けんまく》で凝然《ぢつ》と立《た》つた儘《まゝ》おつぎを睨《にら》んでさうして卯平《うへい》をちらと一|瞥《べつ》しては、卯平《うへい》の目《め》を憚《はゞか》る樣《やう》にしてさつさと唐鍬《たうぐは》を擔《かつ》いで出《で》て行《ゆ》く。卯平《うへい》は自分《じぶん》の爲《ため》におつぎが遲《おそ》く成《な》る時《とき》には
「俺《お》ら自分《じぶん》でやつから汝《わ》りや構《かま》あねえで行《い》けよ」おつぎを促《うなが》し立《た》てた。卯平《うへい》は當座《たうざ》の内《うち》は其處《そこ》ら此處《ここ》らへ行《い》つては自分《じぶん》からは求《もと》めないでも、暫《しばら》く遭《あ》はなかつた間柄《あひだがら》で、短《みじか》い日《ひ》の落《お》ちるのも知《し》らずに噺《はなし》をしては百姓《ひやくしやう》相當《さうたう》な不味《まづ》い馳走《ちそう》に成《な》るのであつたが、段々《だん/\》互《たがひ》に珍《めづ》らしくなくなつてからは彼《かれ》は餘《あま》り外《そと》へも出《で》ないで※[#「煢−冖」、第4水準2−79−80]然《ぽつさり》として好《す》きな煙草《たばこ》にのみ屈託《くつたく》した。彼《かれ》は晝飯《ひるめし》といふと殊《こと》に冷《つめ》たい粗剛《こは》い飯《めし》を厭《いと》うて箸《はし》を執《と》るのが辛《つら》いやうでもあつた。其《そ》れで彼《かれ》は時々《とき/″\》村落《むら》の店《みせ》へ行《い》つて豆腐《とうふ》の一|丁位《ちやうぐらゐ》に腹《はら》を塞《ふさ》げた。皿《さら》の豆腐《とうふ》を隅《すみ》から箸《はし》で拗切《ちぎ》つて見《み》ては餘《あま》りに冷《つめた》いので、腰《こし》の痛《いた》みを思《おも》ひ出《だ》して小《ちひ》さな鍋《なべ》を借《か》りて暖《あたゝ》めた。さうしては遂《つひ》一|杯《ぱい》の酒《さけ》が欲《ほし》くなつて其處《そこ》でむつゝりと時間《じかん》を潰《つぶ》した。豆腐《とうふ》は彼《かれ》の齒齦《はぐき》に最《もつと》も適當《てきたう》した食料《しよくれう》であつた。
卯平《うへい》は身體《からだ》が惡《わる》く成《な》つてから僅《わづか》の間《あひだ》でも覺悟《かくご》をしたので幾《いく》らでも財布《さいふ》には蓄《たくは》へが出來《でき》て居《ゐ》た。彼《かれ》は何程《なにほど》節約《せつやく》しても遂《つひ》にじり/\と減《へつ》て行《ゆ》くのみである財布《さいふ》に縋《すが》つて、芒《すゝき》で裂《さ》いた樣《やう》に閉《と》ぢた其《そ》の口《くち》に何《なん》でも噛《か》み殺《ころ》して居《ゐ》るのだといふ容子《やうす》をして其《その》日《ひ》々々と刻《きざ》んで過《すご》した。彼《かれ》は一|日《にち》凝然《ぢつ》として冷《つめ》たい火鉢《ひばち》の前《まへ》に
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