みやげ》が買《か》ひたく成《な》つたのである。煎餅《せんべい》の袋《ふくろ》は毎日《まいにち》使《つか》つて居《ゐ》た手拭《てぬぐひ》で括《くゝ》つて荷締《にじ》めの紐《ひも》へ縛《しば》りつけた。彼《かれ》は冬《ふゆ》になつてまた起《おこ》りかけた僂痲質斯《レウマチス》を恐《おそ》れて極《きは》めてそろ/\と歩《ほ》を運《はこ》んだ。利根川《とねがは》を渡《わた》つてからは枯木《かれき》の林《はやし》は索寞《さくばく》として連續《れんぞく》しつゝ彼《かれ》を呑《の》んだ。彼《かれ》は處々《ところ/″\》へのつそりと腰《こし》を卸《おろ》して好《す》きな煙草《たばこ》をふかした。荷物《にもつ》を路傍《みちばた》へ卸《おろ》す時《とき》彼《かれ》は屹度《きつと》縛《しば》りつけた手拭《てぬぐひ》の包《つゝみ》へ手《て》を掛《か》けて新聞紙《しんぶんし》の袋《ふくろ》のがさ/\と鳴《な》るのを聞《き》いて安心《あんしん》した。枯木《かれき》の林《はやし》は立《た》ち騰《のぼ》る煙草《たばこ》の煙《けぶり》が根《ね》の切《き》れた儘《まゝ》すつと急《いそ》いで枝《えだ》に絡《から》んで消散《せうさん》するのも隱《かく》さずに空洞《からり》として居《ゐ》る。卯平《うへい》が凝然《ぢつ》として居《ゐ》ると萵雀《あをじ》が忍《しの》び/\に乾《かわ》いた落葉《おちば》を踏《ふ》んで彼《かれ》の近《ちか》くまで來《き》てはすいと枝《えだ》へ飛《と》んだ。彼《かれ》は周圍《しうゐ》には一|切《さい》心《こゝろ》を惹《ひ》かされることもなく袂《たもと》の燐寸《マツチ》へ火《ひ》を點《つ》けては又《また》燐寸《マツチ》を袂《たもと》へ入《いれ》て、さうしてからげつそりと落《お》ちた兩頬《りやうほゝ》の肉《にく》が更《さら》にぴつちりと齒齦《はぐき》に吸《すひ》ついて畢《しま》ふまで徐《ゆる》りと煙草《たばこ》を吸《す》うて、煙管《きせる》をすつと拔《ぬ》いてから又《また》齒齦《はぐき》へ空氣《くうき》を吸《す》うて煙《けぶり》と一つに飮《の》んで畢《しま》つたかと思《おも》ふやうにごくりと唾《つば》を嚥《の》んで、それから煙《けぶり》を吐《は》き出《だ》すのである。彼《かれ》は周圍《しうゐ》が寂《さび》しいとも何《なん》とも思《おも》はなかつた。然《しか》し彼自身《かれじしん》は見《み》るから枯燥《こさう》して憐《あは》れげであつた。彼《かれ》は少《すこ》しきや/\と痛《いた》む腰《こし》を延《のば》して荷物《にもつ》を脊負《せお》つて立《た》つた。捨《す》てた燐寸《マツチ》の燃《も》えさしが道端《みちばた》の枯草《かれくさ》に火《ひ》を點《つ》けて愚弄《ぐろう》するやうな火《ひ》がべろ/\と擴《ひろ》がつても、見向《みむ》かうともせぬ程《ほど》彼《かれ》は懶《ものう》げである。野田《のだ》からは十|里《り》に足《た》らぬ平地《へいち》の道《みち》を鬼怒川《きぬがは》に沿《そ》うた自分《じぶん》の村落《むら》まで來《く》るのに、冬《ふゆ》の短《みじか》い日《ひ》が雜木林《ざふきばやし》の梢《こずゑ》に彼《かれ》を待《ま》たなかつた。彼《かれ》は自分《じぶん》の家《いへ》に着《つ》いた時《とき》は醤油《しやうゆ》を提《さ》げた手《て》が痛《いた》い程《ほど》冷《ひ》えて居《ゐ》た。彼《かれ》は漸《やつと》のことで戸口《とぐち》に立《た》つた。勘次《かんじ》を喚《よ》ばうとして見《み》たら内《うち》はひつそりと闇《くら》い。戸口《とぐち》に手《て》を當《あ》てゝ見《み》たら鍵《かぎ》が掛《かけ》てあつた。
「居《ゐ》たかえ」それでも卯平《うへい》は呶鳴《どな》つて見《み》たが返辭《へんじ》がない。卯平《うへい》は口《くち》の内《うち》で呟《つぶや》いて裏戸口《うらとぐち》へ廻《まは》つて見《み》たら其處《そこ》は内《うち》から掛金《かけがね》が掛《かゝ》つて居《ゐ》る。彼《かれ》はそれでも煙管《きせる》を出《だ》して戸《と》の隙間《すきま》から掛金《かけがね》をぐつと突《つ》いたら栓《せん》を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]《さし》てなかつたので直《すぐ》に外《はづ》れた。彼《かれ》は闇《くら》い閾《しきゐ》を跨《また》いで袂《たもと》の燐寸《マツチ》をすつと點《つ》けた。幾年《いくねん》居《ゐ》なくても勝手《かつて》を知《し》つて居《ゐ》るので彼《かれ》は柱《はしら》へ懸《かけ》てある手《て》ランプを點《つ》けて、取《と》り敢《あへ》ず手足《てあし》を暖《あたゝ》める爲《ため》に麁朶《そだ》をぽち/\と折《を》つて火鉢《ひばち》へ燻《く》べた。煤《すゝ》けた藥罐《やくわん》を五|徳《とく》へ掛《かけ》てそれか
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