さつき》見《み》てえに泣《な》いてんのに惡口《わるくち》なんぞいふな罪《つみ》だよなあ」と若《わか》い女房等《にようばうら》はそれでもしんみりといつた。
其《そ》の夜《よ》から暫《しばら》くの間《あひだ》勘次《かんじ》は以前《いぜん》とは異《かは》つておつぎを獨《ひと》り放《はな》して出《だ》すことが有《あ》る樣《やう》に成《な》つた。さうかと思《おも》つて居《ゐ》る内《うち》に村落中《むらぢう》が復《ま》た勘次《かんじ》のおつぎに對《たい》する態度《たいど》の全《まつた》く以前《いぜん》に還《かへ》つたことを認《みと》めずには居《ゐ》られなくなつた。村落《むら》の目《め》は勢《いきほ》ひ嫉妬《しつと》と猜忌《さいぎ》とそれから新《あらた》に起《おこ》つた事件《じけん》に對《たい》するやうな興味《きようみ》とを以《もつ》て勘次《かんじ》の上《うへ》に注《そゝ》がれねばならなかつた。
十六
勘次《かんじ》は殆《ほと》んど事毎《ことごと》に冷笑《れいせう》の眼《まなこ》を以《もつ》て見《み》られて居《ゐ》るのであつたが然《しか》しそれが厭《いや》な感情《かんじやう》を彼《かれ》に與《あた》へるよりも、彼《かれ》は彼《かれ》の懷《ふところ》に幾分《いくぶん》の餘裕《よゆう》を生《しやう》じて來《き》たことが凡《すべ》ての不滿《ふまん》を償《つぐな》うて猶《なほ》餘《あまり》あることであつた。お品《しな》がまだ生《い》きて居《ゐ》る頃《ころ》隣《となり》の主人《しゆじん》の内儀《かみ》さんに向《むか》つて
「お内儀《かみ》さん等《ら》何《なん》にも心配《しんぺえ》なんざ無《な》くつて晴々《せい/\》として居《え》んでござんせうね」お品《しな》はつく/″\といつたことがある。
「何故《なぜ》そんなこといふんだい」内儀《かみ》さんは怪《あや》しんで聞《き》いたら
「そんでもお内儀《かみ》さん等《ら》喰《た》べる心配《しんぺえ》なんざちつともねえんだから、わたしやさうだと思《おも》つてせえ」お品《しな》はいつた。内儀《かみ》さんは成程《なるほど》さういふ心持《こゝろもち》で居《ゐ》るのかと、それから種々《いろ/\》と身分《みぶん》相應《さうおう》な苦勞《くらう》の止《や》まぬことを噺《はなし》て聞《き》かせると
「さうでござんせうかねお内儀《かみ》さん、わたし等《ら》また明《あ》けても暮《く》れても無《ね》え足《た》んねえの心配《しんぺえ》ばかしゝてんだから、さういことねえ人《ひと》は心配《しんぺえ》なんちやねえんだとばかし思《おも》つてたんでござんすよ、ねえ本當《ほんたう》に」お品《しな》は感《かん》に堪《た》へたやうにいつたのであつた。お品《しな》がそれ程《ほど》苦勞《くらう》した米※[#「穀」の「禾」に代えて「釆」、234−7]《べいこく》の問題《もんだい》が其《そ》の死後《しご》四五|年間《ねんかん》の惨憺《さんたん》たる境遇《きやうぐう》から漸《やうや》く解決《かいけつ》が告《つ》げられようとしたのである。彼《かれ》は毎年《まいねん》冬《ふゆ》からまだ草木《さうもく》の萌《も》え出《だ》さぬ春《はる》までの内《うち》に彼等《かれら》にしては驚《おどろ》くべき巨額《きよがく》の四五十|圓《ゑん》を贏《か》ち得《う》るのであつた。其《そ》れは古《ふる》い創痍《さうい》の穴《あな》に投《とう》ぜられるにしても彼《かれ》は土間《どま》の鷄《にはとり》の塒《とや》の下《した》に三|人《にん》が安心《あんしん》して居《ゐ》るだけの食料《しよくれう》を求《もと》めて置《お》くことが出來《でき》る樣《やう》に成《な》つた。おつぎは二十《はたち》の聲《こゑ》を聞《き》いて與吉《よきち》は學校《がくかう》へ出《で》る樣《やう》に成《な》つた。彼《かれ》は絶《た》えず或《ある》物《もの》を探《さが》すやうな然《しか》も隱蔽《いんぺい》した心裏《しんり》の或《ある》物《もの》を知《し》られまいといふやうな、不見目《みじめ》な容貌《ようばう》を村落《むら》の内《うち》に曝《さら》す必要《ひつえう》が漸《やうや》く減《げん》じて來《き》た。彼《かれ》は段々《だん/\》彼等《かれら》の伴侶《なかま》に向《むか》つて以前《いぜん》の如《ごと》くこせ/\と徒《いたづ》らに遠慮《ゑんりよ》した態度《たいど》がなくなつた。彼《かれ》は村落《むら》の凡《すべ》てに向《むか》つて拂《はら》つた恐怖《きようふ》の念《ねん》を悉《ことごと》く東隣《ひがしどなり》の家族《かぞく》にのみ捧《さゝ》げて畢《しま》つた。
其《そ》の間《あひだ》彼《かれ》と卯平《うへい》とは只《たゞ》一|回《くわい》逢《あ》つたのみである。卯平《うへい》はお品《しな》が三|
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