《おほ》きな荷物《にもつ》と袋《ふくろ》へ入《い》れた三味線《さみせん》とが置《お》いてあつて淋《さび》しく見《み》えて居《ゐ》た。只《たゞ》一人《ひとり》の巫女《くちよせ》が彼等《かれら》に特有《とくいう》の態度《たいど》を保《たも》つて正座《しやうざ》を張《は》つて、其《そ》の何時《いつ》でも放《はな》さない荷物《にもつ》を前《まへ》へ置《お》いてしやんと坐《すわ》つて居《ゐ》るのであつた。表《おもて》には村落《むら》の者《もの》が漸《やうや》く殖《ふ》えて土間《どま》から座敷《ざしき》へ上《あが》る者《もの》もあつた。彼等《かれら》は理由《わけ》もなしに只《たゞ》騷《さわ》ぎはじめた。彼等《かれら》は沼邊《ぬまべ》の葦《あし》のやうに集《あつま》れば互《たがひ》に只《たゞ》ざわ/\と騷《さわ》ぐのである。巫女《くちよせ》はかなりの婆《ばあ》さんであつたので、白粉《おしろい》つけた瞽女等《ごぜら》に向《むか》つて揶揄《からか》ふ樣《やう》な言辭《ことば》は彼等《かれら》の間《あひだ》には發《はつ》せられなかつた。
「どうしたえ、口寄《くちよせ》一《ひと》つやつて見《み》ねえかえ」大勢《おほぜい》の中《うち》から切《き》り出《だ》したものがあつた。葦《あし》の葉末《はずゑ》が微風《びふう》にも靡《なび》けられる樣《やう》に此《この》一|語《ご》の爲《ため》に皆《みな》ぞよ/\と復《また》騷《さわ》いだ。群集《ぐんしふ》の中《うち》にはおつぎも交《まじ》つて居《ゐ》た。若《わか》い衆等《しゆら》は先刻《さつき》からそれに注目《ちうもく》して居《ゐ》たが
「どうした、彼奴等《あいつら》こと寄《よ》せてんべぢやねえか」
「おつぎこと出《だ》してんべぢやねえか」彼等《かれら》はひそ/\と竊《ひそか》に喋《しめ》し合《あは》せた。
「寄《よ》せてんべえと」群集《ぐんしふ》の後《うしろ》の方《はう》から呶鳴《どな》つた。
「そんぢや此方《こつち》へ出《で》さつせえな」店《みせ》の女房《にようばう》はいつた。群集《ぐんしふ》は一|時《じ》に威勢《ゐせい》がついて巫女《くちよせ》の膝《ひざ》近《ちか》くまでぎつしりと座敷《ざしき》を塞《ふさ》いだ。勘次《かんじ》もおつぎも座敷《ざしき》に窮屈《きうくつ》な居《ゐ》ずまひをして居《ゐ》た。店《みせ》の女房《にようばう》は少《すこ》し剥《は》げた塗盆《ぬりぼん》へ水《みづ》を一|杯《ぱい》に汲《く》んだ飯茶碗《めしぢやわん》を載《の》せて
「ちつとおめえ等《ら》退《しや》つてくんねえか」といひながら人々《ひと/″\》の間《あひだ》を足探《あしさぐ》りに歩《ある》いて巫女《くちよせ》の婆《ばあ》さんの前《まへ》へ置《お》いた。
「そんぢや誰《だれ》だんべ、寄《よ》せんな」女房《にようばう》は立《た》つた儘《まゝ》一|同《どう》を見廻《みまは》して嫣然《にこり》としていつた。それでも暫《しばら》くは凡《すべ》てが口《くち》を緘《つぐ》んで居《ゐ》た。巫女《くせよせ》の婆《ばあ》さんは箱《はこ》を包《つゝ》んだ荷物《にもつ》を其《その》儘《まゝ》自分《じぶん》の膝《ひざ》へ引《ひ》きつけて待《ま》つて居《ゐ》る。
「俺《お》れやんべ、そんぢや」若《わか》い衆《しゆ》の一人《ひとり》が婆《ばあ》さんの前《まへ》へ出《で》て
「俺《お》ら生口《いきぐち》寄《よ》せて見《み》てえんだが、幾《いく》らだんべ一口《ひとくち》は」
「五|錢《せん》づゝでさ」巫女《くちよせ》の婆《ばあ》さんは落付《おちつ》いていつた。
「此《こ》ら只《たゞ》默《だま》つてゝえゝんだつけかな」といふと
「えゝんだよそんで、自分《じぶん》の思《おも》つてたの出《で》て來《く》んだから」
「かんぜん撚《より》拵《こせ》えて水《みづ》掻《か》ん廻《まあ》せば、えゝんだよ」側《そば》から巫女《くちよせ》の婆《ばあ》さんのいふのも待《ま》たずに口《くち》を出《だ》した。
「三|度《と》でえゝんだつけかな」婆《ばあ》さんの前《まへ》へ坐《すわ》つた一人《ひとり》は後《うしろ》の方《はう》を向《む》いていつて彼《かれ》は不器用《ぶきよう》な紙捻《こより》を拵《こしら》へて其《そ》の先《さき》を茶碗《ちやわん》の水《みづ》へ浸《ひた》して三|度《ど》丁寧《ていねい》に掻《か》き廻《まは》して其《そ》の儘《まゝ》紙捻《こより》を水《みづ》に浸《ひた》して置《お》いた。
「見《み》ろよ、近頃《ちかごろ》薩張《さつぱり》來《き》てくんねえが、俺《お》れこと厭《や》にでも成《な》つたんぢやねえかなんて出《で》つから」と店《みせ》の女房《にようばう》は戯談《ぜうだん》を交《まじ》へた。
 巫女《くちよせ》は暫《しばら》く手《て》を合《あは》せて口《くち》の中
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