《か》いた。
「さあ、お飯《まんま》だえ」唄《うた》も騷《さわ》ぎも止《や》んで一|同《どう》の口《くち》から俄《にはか》に催促《さいそく》が出《で》た。女房等《にようばうら》は皆《みな》で給仕《きふじ》をした。内《うち》の女房《にようばう》は
「おつぎも身體《からだ》みつしりして來《き》たなあ、女《をんな》も廿《はたち》と成《な》つちや役《やく》に立《た》つなあ」とおつぎを見《み》ていつた。勘次《かんじ》は茶碗《ちやわん》から少《すこ》し飯粒《めしつぶ》を零《こぼ》しては危險《あぶな》い手《て》つきで箸《はし》を持《も》つた儘《まゝ》指《ゆび》の先《さき》で抓《つま》んで口《くち》へ持《も》つて行《い》つた。
「おとつゝあ、さういに零《こぼ》しちや駄目《だめ》だな」おつぎは勘次《かんじ》の茶碗《ちやわん》へ手《て》を添《そ》へた。
「勘次《かんじ》さん」と内《うち》の女房《にようばう》は喚《よ》び掛《か》けた。勘次《かんじ》が目《め》を蹙《しか》めて見《み》た時《とき》
「勘次《かんじ》さん、はあおつぎこたあ出《だ》しても善《よ》かねえけえ」女房《にようばう》はいつた。
「嫁《よめ》になんざ出《だ》せねえよ、今《いま》ん處《ところ》俺《お》れ困《こま》つから」勘次《かんじ》はそつけなくいつた。
「不自由《ふじいう》な處《ところ》ありや出《だ》して、自分《じぶん》でも引《ひ》つ込《こ》むのよ」兼《かね》博勞《ばくらう》は遠慮《ゑんりよ》なくいつた。
「俺《お》らそんな噺《はなし》や聽《き》かねえ、貰《もら》ひたけりや幾《いく》らでも有《あ》らあ」勘次《かんじ》は斥《しりぞ》けた。
「そんだつておめえ、そつちこつち口《くち》掛《か》けて置《お》かねえぢや、直《ぢき》年齡《とし》ばかしとらせつちやつて仕《し》やうねえぞ、俺《お》らも一人《ひとり》出《だ》したがおめえ容易《ようい》ぢやねえよ、さうだかうだ云《ゆ》はれねえ内《うち》だぞおめえ」女房《にようばう》はいつた。
「えゝよ卅まで獨《ひと》りぢや置《お》かねえから此《こ》れげはいまに聟《むこ》とんだから」勘次《かんじ》は喧嘩《けんくわ》でもする樣《やう》な容子《ようす》で硬《こは》ばつた舌《した》でいつた。女房《にようばう》は默《だま》つて口《くち》の邊《あたり》に冷《ひやゝ》かな笑《ゑみ》を含《ふく》んで膝《ひざ》をそつと動《うご》かしてぐつすり眠《ねむ》りこけた自分《じぶん》の子《こ》を見《み》た。
「どうしたえ、儘《まゝ》よ/\でもやんねえか勘次《かんじ》さん。まゝにならぬとお鉢《はち》を投《な》げりや其處《そこ》らあたりは飯《まゝ》だらけだあ、過多《げえ》に六《むづ》かしいこと云《い》ふなえ」兼《かね》博勞《ばくらう》は米《こめ》の飯《めし》を掻《か》つ込《こ》みながらいつた。腹《はら》を一|杯《ぱい》に膨《ふく》らませた一|座《ざ》は
「どうも御馳走樣《ごつゝおさま》でがした」と義理《ぎり》を述《の》べて土間《どま》の下駄《げた》をがら/\掻《か》き探《さぐ》つてがや/\騷《さわ》ぎながら歸《かへ》り掛《か》けた。
「おつう、よきこと起《おこ》せ」勘次《かんじ》はさういつて自分《じぶん》も一《ひと》つに蹣跚《よろ》けながら立《た》つた。おつぎは與吉《よきち》の身體《からだ》を劇《はげ》しく動《うご》かしたが熟睡《じゆくすゐ》して畢《しま》つたので容易《ようい》に目《め》を開《ひら》かなかつた。與吉《よきち》は草履《ざうり》を穿《は》くにもおつぎの心《こゝろ》を苛立《いらだ》たせた。
「おつう」と劇《はげ》しく喚《よ》ぶ勘次《かんじ》の聲《こゑ》が裏《うら》の垣根《かきね》の外《そと》から聞《きこ》えた。さうすると又《また》
「何《なに》してけつかんだ」と勘次《かんじ》は裏戸口《うらとぐち》から一|同《どう》を驚《おどろ》かして呶鳴《どな》つた。
「勘次《かんじ》さん與吉《よきち》こと起《おこ》してた處《とこ》なんだよ」内《うち》の女房《にようばう》は分疏《いひわけ》してやつた。
「汝《わ》りや何時《いつ》でもさうだ、ぐづ/\してやがつて」勘次《かんじ》は猶《なほ》も憤《いきどほ》つていつた。
「待《ま》つてれば善《え》えんだなおとつゝあ、洗《あら》ひまでも仕《し》ねえのにどうしたもんだ」酒席《しゆせき》の趾《あと》を見《み》ておつぎは呟《つぶや》いた。
「管《かま》あねえで歸《けえ》れよ、おとつゝあ酩酊《よつぱら》つてんだから」女房《にようばう》はおつぎの意《い》を汲《く》んでやつた。後《あと》では亂雜《らんざつ》に散《ち》らかした道具《だうぐ》の始末《しまつ》をしながら女房等《にようばうら》はいつた。
「勘次《かんじ》さんが心持《こゝろもち》も分《わか》んねえな」
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