急《きふ》だつちと倒旋毛《さかさつむじ》おつ立《た》てる樣《やう》だから畜生《ちきしやう》なんぼにも足《あし》が出《で》ねえな、其奴《そいつ》へ合《あは》せて唄《うた》あんだからゆつくり行《や》んなくつちやなんねえな」兼《かね》博勞《ばくらう》は帶《おび》を解《と》いて裸《はだか》に成《な》つて衣物《きもの》を後《うしろ》へ投《なげ》た。帶《おび》は一重《ひとへ》で左《ひだり》の腰骨《こしぼね》の處《ところ》でだらりと結《むす》んであつた。兩方《りやうはう》の端《はし》が赤《あか》い切《きれ》で縁《ふち》をとつてある。粗《あら》い棒縞《ぼうじま》の染拔《そめぬき》でそれは馬《うま》の飾《かざ》りの鉢卷《はちまき》に用《もち》ひる布片《きれ》であつた。
「此處《ここ》らの馬《うま》だつて見《み》ろえ、博勞節《ばくらうぶし》門《かど》ツ先《つあき》でやつたつ位《くれえ》厩《まや》ん中《なか》で畜生《ちきしやう》身體《からだ》ゆさぶつて大騷《おほさわ》ぎだな」彼《かれ》は獨《ひと》りで酒席《しゆせき》を賑《にぎは》した。彼《かれ》はさうして土《つち》のやうな汗《あせ》と埃《ほこり》とで染《そ》まつた手拭《てぬぐひ》で首筋《くびすぢ》から身體《からだ》一|杯《ぱい》に拭《ぬぐ》つた。それから
「おゝ痒《かい》い」とぴしやり手《て》で蚊《か》を叩《たゝ》いた。彼《かれ》の唄《うた》に連《つれ》て各自《めいめい》が更《さら》に唄《うた》つた。皆《みな》箸《はし》で茶碗《ちやわん》を叩《たゝ》いて拍子《ひやうし》を合《あは》せた。さういふ騷《さわ》ぎに成《な》つてから酒《さけ》は減《へ》らなかつた。勘次《かんじ》は獨《ひと》りで唄《うた》ふこともなく絶《た》えず何物《なにもの》かを探《さが》すやうな目《め》で土間《どま》のあたりをきよろ/\と見《み》て居《ゐ》たが
「おつう」と唐突《だしぬけ》に喚《よ》んだ。彼《かれ》は勢《いきほ》ひよく喚《よ》んで見《み》て自分《じぶん》で拍子拔《ひやうしぬけ》した樣《やう》にして居《ゐ》たが
「此《こ》れさ馬鈴薯《じやがいも》でもくんねえか」と椀《わん》をづうつと出《だ》した。
「どうしたもんだおとつゝあは、お平《ひら》の盛換《もりけ》えするもな有《あ》んめえな、馬鈴薯《じやがいも》は前《めえ》に幾《いく》らでも有《あ》んのに」おつぎは更《さら》に窘《たしな》めるやうに
「おとつゝあは酩酊《よつぱら》つたつてそんなに顛倒《ぐれ》なけりやよかつぺなあ」と獨《ひと》り呟《つぶや》いた。
「云《ゆ》つて見《み》たのよ」勘次《かんじ》は態《わざ》と笑《わら》つて椀《わん》を膳《ぜん》へ置《お》いた。
「おつか樣等《さまら》もこつちへ來《こ》うな、一杯《いつぺえ》やれな」彼《かれ》は更《さら》に板《いた》の間《ま》の隅《すみ》の方《はう》に居《ゐ》る女房等《にようばうら》にいつた。
「ほんに仲間入《なかまいり》したらよかつぺ」内《うち》の女房《にようばう》もいつた。若《わか》い女房等《にようばうら》は仲間《なかま》には成《な》らなかつた。さうして唯《たゞ》笑《わら》つて居《ゐ》た。唄《うた》ひ騷《さわ》ぐ聲《こゑ》に凡《すべ》てが心《こゝろ》を奪《と》られて居《ゐ》ると
「汝《わ》りや梅《うめ》噛《かじ》つたんべ、學校《がつこ》の先生《せんせい》げ※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、213−12]《ねえ》訴《えつ》けてやつから、腹《はら》痛《いた》くつたつて我慢《がまん》してるもんだ」
 おつぎは眠《ねむ》い眼《め》をこすりながらしく/\泣《な》いて居《ゐ》る與吉《よきち》を横《よこ》にして背中《せなか》を叩《たゝ》いては撫《いたは》りながらいつた。
「どうしたんだあ、腹《はら》痛《いて》えのか毒消《どくけ》しでも呑《の》ませて見《み》つか、俺《お》らもはあ、梅《うめ》だの李《すもんも》だの成熟《でき》ちやびや/\すんだよ、出《で》て行《や》んだから云《ゆ》つたつて聽《き》かねえしなあ」内《うち》の女房《にようばう》はすや/\と眠《ねむ》つた膝《ひざ》の子《こ》の蚊《か》を追《お》ひながらいつた。
「汝《わ》れ梅《うめ》なんぞ噛《か》じつて、おとつゝあ腹《はら》抉《ゑぐ》り拔《ぬ》いてやつから待《ま》つてろ」勘次《かんじ》は疾《とう》から澁《しぶ》つて居《ゐ》た舌《した》でいつた。
「そんなこと云《ゆ》はねえつたつて泣《な》いてんのに何《なん》だつぺな、おとつゝあ」おつぎは勘次《かんじ》を叱《しか》つた。勘次《かんじ》は口《くち》を嵌《つぐ》んで箸《はし》の先《さき》へ馬鈴薯《じやがいも》を刺《さ》した。與吉《よきち》は瞼《まぶた》が弛《ゆる》んでいつか輕《かる》い鼾《いびき》を掻
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