りいや、なんぼ憎《にく》らしいか知《し》れやしねえ、其處《そこ》らに薪雜棒《まきざつぽう》でも有《あ》れば打《ぶ》つ飛《と》ばして遣《や》りてえ樣《やう》だ」涙《なみだ》の目《め》を拭《ぬぐ》つて恨《うら》めしげに女房等《にようばうら》は云《い》ふのであつた。
「そんだから俺《お》れ、笑《わら》つちやえかねえつて云《ゆ》つたんだな、それ聽《き》かねえから」兼《かね》博勞《ばくらう》は態《わざ》と平然《へいぜん》として云《い》つた、恁《か》うしてがみ/\いふ聲《こゑ》が錯雜《こぐらか》つた時《とき》
「博勞《ばくらう》さん一つやつゝけつかな」兼《かね》博勞《ばくらう》は一|聲《こゑ》殊《こと》に大《おほ》きく呶鳴《どな》つたと思《おも》つたら茶碗《ちやわん》の酒《さけ》を一|口《くち》にぐつと干《ほ》して兩手《りやうて》に茶碗《ちやわん》を伏《ふ》せて、板《いた》の間《ま》にぱか/\ぱか/\と蹄《ひづめ》に傚《なら》うて拍子《ひやうし》取《と》つた響《ひゞき》を立《た》てながら
「三春《みはる》から白河《しらかは》の方《はう》へこんでも横薦《よこごも》乘《の》つけたの繋《つな》いで曳《ひ》いて來《く》つ處《とこ》らえゝかんな、能《よ》く聞《き》いて見《み》せえ、此《こ》の手《て》にや行《い》かねえぞ」彼《かれ》は其《そ》の自慢《じまん》の下《した》から
「どう/\どうよ、ほうい、ほいとう」
と馬《うま》への掛聲《かけごゑ》を尤《もつと》もらしくした。茶碗《ちやわん》の拍子《ひやうし》に連《つ》れて一|同《どう》はぴつたり靜《しづ》かに成《な》つた。
「はあえゝえゝえゝ」とぼうと太《ふと》い聲《こゑ》で唄《うた》ひ出《だ》して
「枯芝《かれしば》あえにいゝゝゝゝえゝ、はあえ、止《とま》るうえ、てふ/\のおゝゝゝゝえ、はあ、ありや氣《き》があゝゝゝゝえ、え、はあ知《し》れえゝぬうよおうゝゝ」と彼《かれ》は眼《め》を瞑《つぶ》つて少《すこ》し上向《うはむき》に首《くび》を傾《かたむ》けて一|杯《ぱい》の聲《こゑ》を絞《しぼ》つて極《きは》めて悠長《いうちやう》にさうして句《く》の續《つゞ》きを
「えゝ傍《そば》にえゝ、菜種《なたね》えのおゝゝゝゝえ、えゝ花《はな》があえ、あゝえるうゝゝゝゝえゝ、ほういほい」と唄《うた》ひ畢《をは》つた時《とき》顏《かほ》が殊更《ことさら》に赤《あか》く成《な》つて汗《あせ》が吊《つ》るしランプに光《ひか》つて見《み》えた。彼《かれ》は手《て》でぐるりと拭《ぬぐ》つた。
「箆棒《べらぼう》に迂遠《まだる》つけえ唄《うた》だな、此《こ》の夜《よ》の短《みじ》けえのに眠《ねむ》つたく成《な》つちやあな」側《そば》から惡口《あくこう》を吐《つ》いた。
「えゝから西《にし》のおとつゝあ、耳糞《みゝくそ》ほじくつて聞《き》いてろえ」兼《かね》博勞《ばくらう》はいつて
「はあえゝえゝ、えゝ朝《あさ》のうゝゝえゝえ、はあ出掛《でがけ》えにいゝゝゝゝえ」と又《また》唄《うた》ひ出《だ》した。
「朝《あさ》の出掛《でがけ》にどの山《やま》見《み》ても雲《くも》の掛《かゝ》らぬ山《やま》はない」と唄《うた》つて茶碗《ちやわん》を動《うご》かしては
「ぱか/\ぱか/\となあ斯《か》う、廿三|坂《さか》越《こ》えて引《ひ》く處《とこ》だぜ、畜生《ちきしやう》あばさけんなえ」と彼《かれ》は更《さら》に
「ひゝいん」と馬《うま》の啼《な》き聲《ごゑ》をしてそれから
「廿三|坂《さか》か、白河《しらかは》のこつちだ、畢《しめえ》の坂《さか》が箆棒《べらぼう》に長《なが》くつてな」といつて又《また》
「はあえゝえゝえゝ」と左《さ》も氣《き》の乘《の》つたらしく
「奧《おく》の博勞《ばくらう》さん何處《どこ》で夜《よ》が明《あ》けた、廿三|坂《さか》七つ目《め》で」と愉快《ゆくわい》な聲《こゑ》で唄《うた》つた。
「夜引《よびき》すつ時《とき》にや人間《にんげん》も眠《ねむ》つたく成《な》りや馬《うま》も眠《ねむ》つたく成《な》つてな、石坂《いしざか》だから畜生等《ちきしやうら》がくたり/\はあ、なんぼにも歩《ある》かねえな、そん時《とき》にや、おうい一つどうだね遣《や》つゝけちやあと許《ばかり》でなあ、博勞等《ばくらうら》ぞろ/\繼《つなが》つて來《く》んだから、峯《みね》の方《はう》でも谷底《たにそこ》の方《はう》でも一|度《ど》に大變《たいへん》だあ、さうすつと駒《こま》つ子奴等《こめら》ひゝんなんてあばさけてぱか/\ぱか/\と斯《か》う運《はこ》びが違《ちが》つて來《く》らな、皆《みんな》おつかげばかし喰《く》つ附《つ》いてたの引《ひ》つ放《ぱな》して來《く》んだから足《あし》が不揃《ふぞろ》ひだなどうしても、それに坂《さか》が
前へ 次へ
全239ページ中117ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長塚 節 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング