「幾《いく》ら嚊《かゝあ》の嫉妬《やきもち》燒《や》くもんでも、あゝえもなあねえな」
「あゝえのが何《なん》かの生《うま》れ變《かは》りつちんでも有《あ》んべな、可怖《おつかね》えやうだよ本當《ほんたう》にな」
「近頃《ちかごろ》それに何《なん》ぢやねえけえ、あら程《ほど》欲《ほ》しがつたのに後妻《あと》貰《もら》あべえたあ、云《ゆ》はねえんぢやねえけえ」孰《いづ》れの心《こゝろ》にも口《くち》にはいはなくて了解《れうかい》されて居《ゐ》る或《ある》物《もの》を少《すこ》しづつ現《あらは》さうとして有繋《さすが》に躊躇《ちうちよ》する樣《やう》にして噺合《はなしあ》うた。勘次等《かんじら》三|人《にん》が出《で》て垣根《かきね》の外《そと》へ行《い》つたと思《おも》ふ頃《ころ》、椀《わん》を拭《ふ》いて居《ゐ》た一人《ひとり》が慌《あわた》だしく立《た》つて外《そと》へ出《で》た。暫《しばら》くして歸《かへ》つて來《く》るといきなり
「どうしたものだおめえは、他人《ひと》の後《あと》なんぞ尾行《つ》けて行《い》つて、罪《つみ》だから見《み》ろよ」一人《ひとり》がいつた。
「さうぢやねえよ、有撃《まさか》おめえ、他人《ひと》のこと俺《おれ》だつて」分疏《いひわけ》した。
「そんぢや何《なん》に行《い》つたんだ」
「小便《せうべん》垂《た》つたく成《な》つたからよ」軈《やが》て抑《おさ》へ切《き》れぬ笑《わら》ひが顏《かほ》に浮《う》かんで
「そんだから過多《げえ》に飮《の》むなつちんだ、なんておつぎに怒《おこ》られ/\行《い》んけわ」といつた。
「そうれおめえ、罪《つみ》だよ」遠慮《ゑんりよ》もなく皆《みな》どつと笑《わら》つた。
 夜《よ》は深《ふ》けて居《ゐ》た。きろ/\きろ/\と風船玉《ふうせんだま》を擦《こす》り合《あは》せる樣《やう》な蛙《かへる》の聲《こゑ》が錯雜《さくざつ》して聞《きこ》えて居《ゐ》た。

         十五

 霜《しも》が竊《ひそか》に地《ち》を掩《おほ》うた。
 晩秋《ばんしう》の冴《さ》えた空氣《くうき》は地上《ちじやう》の凡《すべ》てを乾燥《かんさう》せしめる。思《おも》ひの儘《まゝ》に枝葉《えだは》を擴《ひろ》げた獨活《うど》の實《み》へ目白《めじろ》の聚《あつま》つて鳴《な》くのが愉快《ゆくわい》らしくもあれど、何《なん》となく忙《いそが》しげであつて、それも少時《しばし》の間《ま》に何處《どこ》でも草木《さうもく》の葉《は》が硬《こは》ばつたり傷《きず》ついたりして一|切《さい》が只《たゞ》がさ/\と混雜《こんざつ》して畢《しま》つた。さういふ處《ところ》へ季節《きせつ》の冬《ふゆ》は厭《いや》でも行《ゆ》き渡《わた》らねばならないのであるがそれでも暖《あたゝ》かい日《ひ》があつたり、冷《つめ》たい日《ひ》があつたりして冬《ふゆ》は只管《ひたすら》躊躇《ちうちよ》しつゝ地上《ちじやう》に沈《しづ》まうとした。さうして霜《しも》を一|度《ど》偃《は》はせて見《み》た。凡《すべ》ての草木《さうもく》は更《さら》に慌《あわ》てた。地味《ぢみ》な常磐木《ときはぎ》を除《のぞ》いた外《ほか》に皆《みな》次《つぎ》の春《はる》の用意《ようい》の出來《でき》るまでは凄《すご》い姿《すがた》に成《な》つてまでも凝然《ぢつ》としがみついて居《ゐ》る。冬《ふゆ》は復《ま》た霜《しも》を偃《は》はせて見《み》た。恐《おそ》ろしく潔癖《けつぺき》な霜《しも》は其《そ》の見窄《みすぼ》らしい草木《さうもく》の葉《は》を地上《ちじやう》に躪《にじ》りつけた。人間《にんげん》の手《て》を藉《か》りたものは田《た》でも畑《はた》でも人間《にんげん》の手《て》を藉《か》りて到處《いたるところ》をからりとさせる。其《そ》の時《とき》畑《はた》には刷毛《はけ》の先《さき》でかすつた樣《やう》に麥《むぎ》や小麥《こむぎ》で仄《ほのか》に青味《あをみ》を保《たも》つて居《ゐ》る。それから冬《ふゆ》は又《また》百姓《ひやくしやう》をして寂《さび》しい外《そと》から專《もつぱ》ら内《うち》に力《ちから》を致《いた》させる。百姓等《ひやくしやうら》は忙《いそが》しく藁《わら》で俵《たわら》を編《あ》んで米《こめ》を入《い》れて春《はる》以來《いらい》の報酬《はうしう》を目前《もくぜん》に積《つ》んで娯《よろこ》ぶのである。
 彼等《かれら》の間《あひだ》には恁《か》ういふ時《とき》に、さうして冬《ふゆ》が本當《ほんたう》にまだ彼等《かれら》の上《うへ》に泣《な》いて見《み》せない内《うち》に相《あひ》前後《ぜんご》して何處《どこ》の村落《むら》にも「まち」が來《く》るのである。其《そ》れは村落毎《むらごと》に建《た》てられてあ
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