ら管《かま》あねえんだな、そんでなけりや幾《いく》らでも出《だ》して遣《や》らざらによ」側《そば》から直《すぐ》にいつた。
「燻《けぶ》つてえの無《な》く成《な》つたら酷《ひど》く晴々《せい/\》してへえつてる樣《やう》ぢやなくなつた。俺《お》ら莫迦《ばか》な目《め》に逢《あ》つちやつたえ」兼《かね》博勞《ばくらう》はがぶりと風呂《ふろ》の音《おと》をさせて立《たち》ながらいつた。
「どうしたもんだ、他人《ひと》のこと使《つか》つて小憎《こにく》らしいこと、そんなこと云《い》ふとおつけて遣《や》つから」おつぎは燻《いぶ》つた薪《たきゞ》を兼《かね》博勞《ばくらう》の近《ちか》くへ出《だ》した。兼《かね》博勞《ばくらう》は慌《あわ》てゝ
「謝罪《あやま》つた/\」とずつと身《み》を引《ひ》いた。おつぎが手桶《てをけ》の側《そば》へ戻《もど》つたら
「ああ、おつぎ/\少《ちつ》と待《ま》つてゝくろえ、俺《お》れえゝ物《もの》出《だ》すから」兼《かね》博勞《ばくらう》は口速《くちばや》に喚《よ》び掛《か》けた。
「おゝ厭《や》なこつた、要《え》らねえよ」おつぎは少《すこ》し身《み》を屈《かが》めて手桶《てをけ》の柄《え》を攫《つか》んで其《そ》の儘《まゝ》身《み》を延《のば》すと手桶《てをけ》の底《そこ》が三|寸《ずん》ばかり地《ち》を離《はな》れた。
「えゝ、此《こ》れ出《だ》すべつちのに」兼《かね》博勞《ばくらう》は後《あと》から投《な》げた。それは梢《こずゑ》から風呂《ふろ》の中《なか》へ落《お》ちた蔕《へた》のない青《あを》い※[#「柿」の正字、第3水準1−85−57]《かき》であつた。※[#「柿」の正字、第3水準1−85−57]《かき》は手桶《てをけ》の水《みづ》へぽたりと落《お》ちて、水《みづ》のとばちりが少《すこ》しおつぎの足《あし》へ掛《かゝ》つた。
「憎《にく》らしいことまあ、惡戯《いたづら》ばかし仕《し》て」おつぎは嫣然《にこり》として後《うしろ》を見《み》た。
「後《うしろ》見《み》せえすりやそんでえゝんだ」と風呂《ふろ》の側《そば》に居《ゐ》た一人《ひとり》がいつた。
「俺《お》ら其《そ》の雀班《そばつかす》見《み》せえすりや氣《き》が濟《す》んでんだよ」兼《かね》博勞《ばくらう》は後《あと》に跟《つ》いていつた。
「何程《なんぼ》すれつからしなんだんべ兼《かね》さんは、他人《ひと》のこと本當《ほんたう》に」とおつぎは手桶《てをけ》を置《お》いて水《みづ》に泛《うか》んだ青《あを》い※[#「柿」の正字、第3水準1−85−57]《かき》を兼《かね》博勞《ばくらう》へ投《な》げた。
「兼《かね》さんすつかり惚《ほれ》られつちやつた」と風呂桶《ふろをけ》の傍《そば》からいつた。おつぎは顏《かほ》を赧《あか》くして慌《あわたゞ》しく手桶《てをけ》を持《も》つて遁《に》げた。一|杯《ぱい》に汲《く》んだ手桶《てをけ》の水《みづ》が少《すこ》し波立《なみだ》つて滾《こぼ》れた。風呂桶《ふろをけ》の傍《そば》では四十五十に成《な》る百姓《ひやくしやう》も居《ゐ》て一同《みんな》が愉快相《ゆくわいさう》にどよめいた。おつぎが手桶《てをけ》を持《も》つた時《とき》勘次《かんじ》は裏戸《うらど》の垣根口《かきねぐち》にひよつこりと出《で》た。彼《かれ》は衣物《きもの》を換《か》へに桑畑《くはばたけ》の小徑《こみち》を越《こ》えて自分《じぶん》の家《うち》へ行《い》つたのであつた。彼《かれ》は風呂《ふろ》の側《そば》の騷《さわ》ぎをちらと耳《みゝ》にしてそれからおつぎの後姿《うしろすがた》を目《め》にしたので怪訝《けげん》な容子《ようす》をして庭《には》にはひつて來《き》た。一|同《どう》は打合《うちあは》せた樣《やう》に默《もく》して畢《しま》つた。
落《お》ち掛《か》けた日《ひ》が少時《しばし》竹藪《たけやぶ》を透《とほ》して濕《しめ》つた土《つち》に射《さ》し掛《か》けて、それから井戸《ゐど》を圍《かこ》んだ井桁《ゐげた》に※[#「くさかんむり/(さんずい+位)」、第3水準1−91−13]《のぞ》んで陰氣《いんき》に茂《しげ》つた山梔子《くちなし》の花《はな》を際立《はきだ》つて白《しろ》くした。暫《しばら》くして青《あを》い煙《けむり》の滿《み》ちた家《いへ》の内《うち》には心《しん》も切《き》らぬランプが釣《つ》るされて、板《いた》の間《ま》には一|同《どう》ぞろつと胡坐《あぐら》を掻《か》いて丸《まる》い坐《ざ》が形《かたち》づくられた。
此《これ》も傭《やと》はれて來《き》た若《わか》い女房等《にようばうら》は竈《かまど》の前《まへ》に立《た》つて内《うち》の女房《にようばう》とおつぎとに手《て》を藉《か》して居
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