な》つて居《ゐ》る程《ほど》物《もの》に臆《おく》する習慣《しふくわん》がある。然《しか》し恁《か》うして儕輩《さいはい》のみが聚《あつ》まれば殆《ほと》んど別人《べつじん》である。饂飩《うどん》が竭《つ》きて茶碗《ちやわん》が亂雜《らんざつ》に投《な》げ出《だ》された時《とき》夜《よる》の遲《おそ》いことに無頓着《むとんぢやく》な彼等《かれら》はそれから暫《しばら》く止《と》めどもなく雜談《ざつだん》に耽《ふけ》つた。彼等《かれら》は遂《つひ》に自分《じぶん》の村落《むら》に野合《やがふ》の夫婦《ふうふ》が幾組《いくくみ》あるかといふことをさへ數《かぞ》へ出《だ》した。そつちからもこつらからも其《そ》れが數《かぞ》へられた。左手《さしゆ》の指《ゆび》が二|度《ど》曲《ま》げて二|度《ど》起《おこ》されても盡《つく》せなかつた。勿論《もちろん》畢《しまひ》には配偶《はいぐう》の缺《か》けたものまで僂指《るし》された。其《そ》れ等《ら》の夫婦《ふうふ》の間《あひだ》に生《うま》れた者《もの》も幾人《いくにん》か彼等《かれら》の間《あひだ》に介在《かいざい》して居《ゐ》た。有繋《さすが》に其《そ》の幾人《いくにん》は自分《じぶん》の父母《ふぼ》が喚《よ》ばれるので苦《にが》い笑《わらひ》を噛《か》んで控《ひか》へて居《ゐ》る。さうすると他《た》の者《もの》はそれを興《きよう》あることにがや/\と囃《はや》し立《た》てた。
 噺《はなし》が少《すこ》しだれた時《とき》
「勘次《かんじ》さん等《ら》見《み》てえなゝ、ありや勘定《かんぢやう》にやへえんねえもんだんべか」と呶鳴《どな》つたものがあつた。此《こ》の唐突《たうとつ》な發言《はつげん》で暫《しばら》く靜止《せいし》して居《ゐ》た彼等《かれら》は俄《にはか》に威勢《ゐせい》が出《で》て拍手《はくしゆ》した。
「勘次《かんじ》さんに聞《き》いて見《み》ろ」といふ聲《こゑ》が隅《すみ》の方《はう》から出《で》た。
「其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《そんな》こと云《ゆ》つたつ位《くれえ》、打《ぶ》ん擲《なぐ》らつら篦棒臭《べらぼうくせ》え」打《う》ち消《け》す聲《こゑ》が聞《きこ》えた。
「そんぢや、おつぎに聞《き》いて見《み》ろ」
「足《あし》でも打折《ぶつちよ》られんなえ」
「薪雜棒《まきざつぽう》ふられてか」
 笑聲《せうせい》が雜然《ざつぜん》として寮《れう》の内《うち》は一|層《そう》騷《さわ》がしく成《な》つた。
「今日《けふ》らも見《み》ろ、角《かど》の店《みせ》で自棄酒《やけざけ》飮《の》んで怒《おこ》つてたつけぞ」一人《ひとり》が自慢《じまん》らしく新《あらた》な事實《じじつ》を提供《ていきよう》した。
「どうしてよ」一|同《どう》が耳《みゝ》を峙《そばだ》てた。
「おつぎことお針《はり》つ子等《こら》と一|緒《しよ》に手傳《てづでえ》に遣《や》つたの知《し》つてべな」
「知《し》つてらなそら」
「そんでよ、手傳《てづでえ》に遣《や》つてゝも、はあ、日暮《ひぐれ》に成《な》つたら、あつかもつかして凝然《ぢつ》としちや居《ゐ》らんねえんだ、そんで愚圖《ぐづ》/\云《ゆ》つてんの面白《おもしれ》えから俺《お》ら聞《き》いてたな、丁度《ちやうど》えゝ鹽梅《あんべえ》に俺《おれ》草履《ざうり》買《か》ひに行《い》つて出《で》つかせてな」
「毎日暮《まいひぐれ》ぢやねえけ徳利《とつくり》おつ立《た》てゝんな」
「さうなんだ、近頃《ちかごろ》唐鍬《たうぐは》使《つけ》え骨《ほね》折《おれ》つからつて仕事《しごと》畢《しま》つちや一|合《がふ》位《ぐれえ》引《ひ》つ掛《か》けて直《す》ぐ行《い》つちやあんだつちけが、それ今日《けふ》は早《はや》くから來《き》てたんだつちきや、店《みせ》のおとつゝあに聞《き》いたな俺《お》ら」噺手《はなして》は自分《じぶん》が先《ま》づ興《きよう》に入《い》つた樣《やう》に又《また》いつた。
「俺《お》ら今日《けふ》うめえ處《とこ》聞《き》いつちやつたな」
「何《なん》だつて云《ゆ》つけ」
「酷《ひ》でえ阿魔《あま》だ、夕飯《ゆふめし》も何《なに》も仕《し》やうありやしねえなんてな、獨《ひと》りでぐうづ/″\云《ゆ》つてな、そんで與吉《よきち》こと何遍《なんべん》も迎《むけえ》に遣《や》つてな、さうすつとあの與吉《よきち》の野郎《やらう》また、今《いま》直《すぐ》に饂飩《うどん》饗《ふるま》つてよこすとう、なんてのたくり/\歸《けえ》つて來《く》んだ、さうすつと又《また》駄目《だめ》だ汝《わ》りや復《ま》た行《い》つて來《こ》う、直《すぐ》に來《こ》うつて云《ゆ》ふんだぞなんて怒《おこ》つた見《み》て
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