えになあ、俺《お》ら可笑《をか》しくつて仕樣《しやう》無《な》かつたつけぞ」噺手《はなして》は左右《さいう》を向《む》きつゝいつた。皆《みな》復《ま》た拍子《ひやうし》して囃《はや》し立《た》てた。
「そんぢや直《す》ぐよこしたつぺ」
「うむ、途中《とちう》で行逢《いきや》つたんだんべ、直《す》ぐ來《き》たつきや」
「あつちだつて其《そ》の位《くれえ》知《し》つてらな」
「おつぎは店《みせ》へよつたつけか」二人《ふたり》が一|度《ど》にいつた。
「寄《よ》んねえや、さうしたらおつう、なんておとつゝあ喚《よ》ばつたんだ、たいした聲《こゑ》してな、そんでもおつうは行《い》つちまあのよ、さうしたら又《また》、おつうなんて呶鳴《どな》つてな、勘定《かんぢやう》すんのにも慌《あわ》くつて錢《ぜに》落《お》つことしたり何《なん》かして後《あと》から駈《か》けてつたんだ、五|合《がふ》も飮《の》んだつぺつちけな、可怖《おつかね》え目《め》つきしつちやつてな、そんだがおつぎは聽《き》かねえぞなか/\、つツ/\と行《い》つちやつてな」噺手《はなして》は暫時《しばし》口《くち》を鎖《とざ》した。
「今日《けふ》は若《わけ》え衆等《しら》行《い》くと思《おも》つてはあ、夜《よる》まで置《お》けねえんだな」
「極《きま》つてらあな」
「そんだつて箆棒《べらぼう》、若《わけ》え衆等《しら》だつてさうだことばかりするものぢやねえ、詰《つま》んねえ」憤慨《ふんがい》してかういふものも
「外聞《げえぶん》惡《わり》いも何《なん》にも知《し》んねえんだな」嘲笑《てうせう》の意味《いみ》ではあるが何處《どこ》となく沈《しづ》んで又《また》斯《か》ういふ者《もの》も有《あ》つた。
「おつぎはそんだが頭髮《あたま》てか/\光《ひか》らかせた處《とこ》ら善《よ》く成《な》つちやつたつけぞ」俄《にはか》に思《おも》ひ出《だ》した樣《やう》に先刻《せんこく》の噺手《はなして》がいつた。
「そんで、おとつゝあ餘計《よけい》仕《し》やう無《な》くなつちやつたんだんべえ」臀《しり》へ釘《くぎ》を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]《さ》して臺《だい》に乘《の》つて居《ゐ》る手《て》ランプの油煙《ゆえん》がそつちへこつちへ靡《なび》く光《ひかり》の下《もと》に茶碗《ちやわん》を箸《はし》で叩《たゝ》きながら又《また》わあつと騷《さわ》ぎ出《だ》した。
勘次《かんじ》は今《いま》開墾《かいこん》の仕事《しごと》の爲《ため》に春《はる》までには主人《しゆじん》の手《て》から三四十|圓《ゑん》の金《かね》を與《あた》へられる樣《やう》にまで成《な》つた。大部分《だいぶぶん》は借財《しやくざい》の舊《ふる》い穴《あな》へ埋《う》めても彼《かれ》は懷《ふところ》に窮屈《きうくつ》を感《かん》じない程度《ていど》に進《すゝ》んだ。一|圓《ゑん》の錢《ぜに》が絶《た》えず財布《さいふ》に在《あ》り得《う》るならば彼等《かれら》は嘆《なげ》く處《ところ》は無《な》いのである。彼《かれ》は只《たゞ》主人《しゆじん》に倚《よ》つて居《ゐ》さへすれば善《よ》いと思《おも》つて居《ゐ》る。恁《か》ういふ遠慮《ゑんりよ》のない蔭口《かげぐち》を利《き》かれるまでには苦《くる》しい間《あひだ》の三四|年《ねん》を過《すご》して來《き》たのである。彼《かれ》の生活《せいくわつ》はほつかりと夜明《よあけ》の光《ひかり》を見《み》たのであつた。おつぎは此《この》時《とき》廿《はたち》の聲《こゑ》を聞《き》いて居《ゐ》たのである。
一三
初秋《しよしう》の風《かぜ》が吊放《つりはな》しの蚊帳《かや》の裾《すそ》をさら/\と吹《ふ》いて、疾《とう》から玉蜀黍《たうもろこし》が竈《かまど》の灰《はひ》の中《なか》でぱり/\と威勢《ゐせい》よく燃《も》える麥藁《むぎわら》の火《ひ》に燒《や》かれて、其《そ》の殼《から》がそつちにもこつちにも捨《す》てられる。畑《はたけ》の仕事《しごと》が暫時《ざんじ》極《きま》りがついて百姓《ひやくしやう》の家《いへ》には盆《ぼん》が來《き》た。其《そ》の日《ひ》も晝過迄《ひるすぎまで》仕事《しごと》をして居《ゐ》た勘次《かんじ》はそれでも慌《あわたゞ》しく庭《には》へ箒《はうき》を入《い》れて目《め》に立《た》つ草《くさ》は鎌《かま》の刄先《はさき》で掻《か》つ切《き》つた。戸《と》も障子《しやうじ》もない煤《すゝ》け切《き》つた佛壇《ぶつだん》はおつぎを使《つか》つて佛器《ぶつき》や其《その》他《た》の掃除《さうぢ》をして、賽《さい》の目《め》に刻《きざ》んだ茄子《なす》を盛《も》つた芋《いも》の葉《は》と、寂《さび》しい
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