く暮《くら》し得《う》るのである。其《そ》れだから彼等《かれら》は婚姻《こんいん》の當日《たうじつ》にも仕事《しごと》の割合《わりあひ》にしては餘《あま》りに多人數《たにんず》に過《す》ぎるので、一《ひと》つ仕事《しごと》に集《あつま》つては屈託《くつたく》ない容子《ようす》をして饒舌《しやべ》るのであつた。
「どうえ嫁樣《よめさま》だんべな」
「善《え》え女《をんな》だんべえな」
「早《はや》く來《く》ればえゝな、俺《お》ら見《み》てえな」
 彼等《かれら》はさういふことをすら口々《くち/″\》に反覆《くりかへ》しつゝ密々《ひそ/\》と耳語《さゝや》いた。
「白粉《おしろい》附《つ》けて來《く》んだな」一|番《ばん》年《とし》の少《すくな》い子《こ》がいつた。
「どうしたもんだえ、白粉《おしろい》附《つ》けんだんべかとまあ」年嵩《としかさ》が笑《わら》つた。
「水白粉《みづおしろい》持《も》つて來《く》んだか知《し》んねえぞ」
「只《たゞ》の水《みづ》見《み》てえな白粉《おしろい》も有《あ》んだつて云《ゆ》つけぞ」
 彼等《かれら》はさういふ罪《つみ》のない穿鑿《せんさく》からそれから
「俺《お》らお給仕《きふじ》に出《で》なくつちや成《な》んねえか知《し》んねえが、耻《はづ》かしくつて厭《や》だな」
「嫁樣《よめさま》まつと耻《はづ》かしかつぺな」
「そんだが俺《お》ら嫁樣《よめさま》の衣物《きもの》どういんだか見《み》てえもんだな」半分《はんぶん》は望《のぞ》むやうな半分《はんぶん》は氣遺《きづか》ふやうな互《たがひ》の心《こゝろ》を語《かた》るのであつた。
 夜《よ》に成《な》つて板《いた》の間《ま》の娘等《むすめら》が座敷《ざしき》の方《はう》へ引《ひ》かれた頃《ころ》勝手口《かつてぐち》に村落《むら》の若者《わかもの》が五六|人《にん》立《た》つた。彼等《かれら》は婚姻《こんいん》の夜《よ》には屹度《きつと》極《きま》つた例《ためし》の饂飩《うどん》を貰《もら》ひに來《き》たのである。晝《ひる》の間《あひだ》に用意《ようい》された饂飩《うどん》が彼等《かれら》に與《あた》へられた。彼等《かれら》の手《て》には饂飩《うどん》の大《おほ》きな笊《ざる》と二|升樽《しようだる》とそれから醤油《しやうゆ》の容器《いれもの》である麥酒罎《ビールびん》とが提《さ》げられた。垣根《かきね》の外《そと》へ出《で》た時《とき》彼等《かれら》は假聲《こわいろ》を出《だ》してどつと囃《はや》し立《た》てゝ又《また》囃《はや》した。彼等《かれら》は途次《みちみち》も騷《さわ》ぐことを止《や》めないで到頭《たうとう》村落《むら》の念佛寮《ねんぶつれう》へ引《ひき》とつた。其處《そこ》には此《これ》も褞袍《どてら》を被《はお》つた彼等《かれら》の伴侶《なかま》が圍爐裏《ゐろり》へ麁朶《そだ》を燻《く》べて暖《あたゝ》まりながら待《ま》つて居《ゐ》た。念佛衆《ねんぶつしゆう》の使《つか》つて居《ゐ》る鍋《なべ》や土瓶《どびん》や茶碗《ちやわん》が只《たゞ》ごた/\と投《な》げ出《だ》されてあつた。臺《だい》つきの手《て》ランプは近所《きんじよ》から借《か》りて來《き》たのであつた。麁朶《そだ》の焔《ほのほ》が手《て》ランプに光《ひかり》を添《そ》へて居《ゐ》た。婚姻《こんいん》の席上《せきじやう》では酒《さけ》の後《あと》には長《なが》く繼《つな》がる樣《やう》といふ縁起《えんぎ》を祝《いは》うて、一《ひと》つには膳部《ぜんぶ》の簡單《かんたん》なのとで饂飩《うどん》を饗《もてな》すのである。蕎麥《そば》は短《みじか》く切《き》れるとて何處《どこ》でも厭《いと》うた。どんな婚姻《こんいん》でもそれを若《わか》い衆《しゆ》が貰《もら》ひに行《ゆ》く。貧乏《びんばふ》な所帶《しよたい》であれば彼等《かれら》は幾《いく》ら少量《せうりやう》でも不足《ふそく》をいはぬ。然《しか》し多少《たせう》の財産《ざいさん》を有《いう》して居《ゐ》ると彼等《かれら》が認《みと》めて居《ゐ》る家《うち》でそれを惜《をし》めば彼等《かれら》は不平《ふへい》を訴《うつた》へて止《や》まぬ。どうかすると闇《くら》い木陰《こかげ》に潜伏《せんぷく》して居《ゐ》て嫁《よめ》の車《くるま》が近《ちか》づいた時《とき》突然《とつぜん》、其《そ》の車《くるま》を顛覆《てんぷく》させてやれといふやうな威嚇的《ゐかくてき》の暴言《ばうげん》をすら吐《は》くことがある。然《しか》し從來《じゆうらい》其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《そんな》ことは滅多《めつた》になく、別段《べつだん》に認《みと》むべき弊害《へいがい》が伴《ともな》ふのでもな
前へ 次へ
全239ページ中97ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長塚 節 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング