い》が餘《あまり》に彼等《かれら》を冷靜《れいせい》な方向《はうかう》に傾《かたむ》かしめて居《ゐ》る。それでなくても其《そ》の知《し》りたがり聞《き》きたがる性情《せいじやう》を刺戟《しげき》すべきことは些細《ささい》であるとはいひながら相《あひ》尋《つい》で彼等《かれら》の耳《みゝ》に聞《きこ》えるので勘次《かんじ》のみが問題《もんだい》では無《な》くなるのである。然《しか》しながら若《わか》い衆《しゆ》と稱《しよう》する青年《せいねん》の一|部《ぶ》は勘次《かんじ》の家《いへ》に不斷《ふだん》の注目《ちうもく》を怠《おこた》らない。其《そ》れはおつぎの姿《すがた》を忘《わす》れ去《さ》ることが出來《でき》ないからである。苟且《かりそめ》にも血液《けつえき》の循環《じゆんくわん》が彼等《かれら》の肉體《にくたい》に停止《ていし》されない限《かぎ》りは、一|旦《たん》心《こゝろ》に映《うつ》つた女《をんな》の容姿《かたち》を各自《かくじ》の胸《むね》から消滅《せうめつ》させることは不可能《ふかのう》でなければならぬ。然《しか》し彼等《かれら》は一|方《ぱう》に有《いう》して居《ゐ》る矛盾《むじゆん》した羞耻《しうち》の念《ねん》に制《せい》せられて燃《も》えるやうな心情《しんじやう》から竊《ひそか》に果敢《はか》ない目《め》の光《ひかり》を主《しゆ》として夜《よ》に向《むか》つて注《そゝ》ぐのである。
 夜《よ》は彼等《かれら》の世界《せかい》である。
 熟練《じゆくれん》な漁師《れふし》は大洋《たいやう》の波《なみ》に任《まか》せて舷《こべり》から繩《なは》に繼《つ》いだ壺《つぼ》を沈《しづ》める。其《そ》の繩《なは》を探《さぐ》つて沈《しづ》めた赤《あか》い土燒《どやき》の壺《つぼ》が再《ふたゝ》び舷《こべり》に引《ひ》きつけられる時《とき》、其處《そこ》には凝然《ぢつ》として蛸《たこ》が足《あし》の疣《いぼ》を以《もつ》て内側《うちがは》に吸《す》ひついて居《ゐ》る。恁《か》うして漁師《れふし》は烱眼《けいがん》を以《もつ》て獲物《えもの》を過《あやま》たぬ道《みち》を波《なみ》の間《あひだ》に窮《きは》めて居《ゐ》るのである。僅《わづか》な村落《むら》の内《うち》で毎日《まいにち》凡《すべ》ての目《め》に熟《じゆく》して居《ゐ》る女《をんな》の所在《ありか》を覘《ねら》ふことは、蛸壺《たこつぼ》を沈《しづ》めるやうな其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《そんな》寧《むし》ろあてどもないものではない。木《こ》の葉《は》が陰翳《かげ》を落《お》として呉《く》れぬ冬《ふゆ》の夜《よ》には覘《ねら》うて歩《ある》く彼等《かれら》は自分《じぶん》の羞耻心《しうちしん》を頭《あたま》から褞袍《どてら》で被《おほ》うて居《ゐ》る。短《みじか》い夜《よ》の頃《ころ》でも、朝《あさ》の眠《ねむ》たさが覿面《てきめん》に自分《じぶん》を窘《たしな》めるにも拘《かゝ》はらずうそ/\と歩《ある》いて見《み》ねば臭《くさ》い古《ふる》ぼけた蚊帳《かや》の中《なか》に諦《あきら》めて其《その》身《み》を横《よこ》たへることが出來《でき》ないのである。彼等《かれら》が女《をんな》の所在《ありか》を覘《ねら》ふのは極《きは》めて容易《ようい》なものの樣《やう》ではありながら蛸壺《たこつぼ》が少《すこ》しの妨《さまた》げもなく沈《しづ》められる樣《やう》ではなく、父母《ふぼ》の目《め》が闇《やみ》の夜《よ》にさへ光《ひかり》を放《はな》つて女《をんな》を彼等《かれら》から遮斷《しやだん》しようとして居《ゐ》る。彼等《かれら》はそれで目《め》の光《ひかり》の及《およ》ぶ範圍内《はんゐない》には自分《じぶん》の身《み》を表《あら》はさないで目的《もくてき》を遂《と》げようと苦心《くしん》する。譬《たとへ》て見《み》れば彼等《かれら》は狹《せば》いとはいひながら跳《はね》ては越《こ》せぬ堀《ほり》を隔《へだ》てゝ、然《し》かも繁茂《はんも》した野茨《のばら》や川楊《かはやなぎ》に身《み》を沒《ぼつ》しつゝ女《をんな》の軟《やはら》かい手《て》を執《と》らうとするのである。其《そ》れは到底《たうてい》相《あひ》觸《ふ》れることさへ不可能《ふかのう》である。焦燥《あせ》つて堀《ほり》を飛《と》び越《こ》えようとしては野茨《のばら》の刺《とげ》に肌膚《はだ》を傷《きずつ》けたり、泥《どろ》に衣物《きもの》を汚《よご》したり苦《にが》い失敗《しつぱい》の味《あぢ》を嘗《な》めねばならぬ。其《そ》れ故《ゆゑ》彼等《かれら》は隱約《いんやく》の間《あひだ》に巧妙《かうめう》な手段《しゆだん》を施《ほどこ》さうとして其處《そこ
前へ 次へ
全239ページ中89ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長塚 節 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング