》に工夫《くふう》が凝《こら》されるのである。
既《すで》に漁師《れふし》の手《て》に生命《せいめい》を握《にぎ》られて居《ゐ》る蛸《たこ》は力《ちから》を極《きは》めて壺《つぼ》の内側《うちがは》に緊着《きんちやく》すれば什※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《どんな》強《つよ》い手《て》の力《ちから》が袋《ふくろ》のやうな其《そ》の頭《あたま》を持《も》つて曳《ひ》かうとも、蛇《へび》が身體《からだ》の一|部《ぶ》を穴《あな》に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]入《さうにう》したやうに拗切《ちぎれ》るまでも離《はな》れない。刄物《はもの》を以《もつ》て突《つ》つ刺《つあ》しても同《どう》一である。蛸壺《たこつぼ》の底《そこ》には必《かなら》ず小《ちひ》さな穴《あな》が穿《うが》たれてある。臀《しり》からふつと息《いき》を吹《ふ》つ掛《か》けると蛸《たこ》は驚《おどろ》いてすると壺《つぼ》から逃《に》げる。それでも猶旦《やつぱり》騙《だま》されぬ時《とき》は小《ちひ》さな穴《あな》から熱湯《ねつたう》をぽつちりと臀《しり》に注《そゝ》げば蛸《たこ》は必《かなら》ず慌《あわ》てゝ漁師《れふし》の前《まへ》に跳《をど》り出《だ》す。熱《あつ》い一|滴《てき》によつて容易《ようい》に蛸《たこ》は騙《だま》されるのである。假令《たとひ》監視《かんし》の目《め》から※[#「二点しんにょう+官」、第3水準1−92−56]《のが》れて女《をんな》に接近《せつきん》したとしても、打《う》ち込《こ》んだ女《をんな》の情《じやう》が強《こは》ければ蛸壺《たこつぼ》の蛸《たこ》が騙《だま》される樣《やう》にころりと落《おと》す工夫《くふう》のつくまでは男《をとこ》は忍耐《にんたい》と寧《むし》ろ危險《きけん》とを併《あわ》せて凌《しの》がねば成《な》らぬ。さうして纔《わづか》に相《あひ》接《せつ》した兩性《りやうせい》が心《こゝろ》から相《あひ》曳《ひ》く時《とき》相《あひ》互《たがひ》に他《た》の凡《すべ》てに對《たい》して恐怖《きようふ》の念《ねん》を懷《いだ》きはじめるのである。
空《そら》が夕日《ゆふひ》の消《き》え行《ゆ》く光《ひかり》を西《にし》の底《そこ》深《ふか》く鎖《とざ》して畢《しま》つて、薄《うす》い宵《よひ》が地《ち》を低《ひく》く掩《おほ》うて夜《よ》が到《いた》つた時《とき》女《をんな》は井戸端《ゐどばた》で愉快《ゆくわい》に唄《うた》ひながら一|種《しゆ》の調子《てうし》を持《も》つた手《て》の動《うご》かし樣《やう》をして米《こめ》を研《と》ぐ。女《をんな》は研桶《とぎをけ》と唄《うた》との二つの聲《こゑ》が錯綜《さくそう》しつゝある間《あひだ》にも木陰《こかげ》に佇《たゝず》む男《をとこ》のけはひを悟《さと》る程《ほど》耳《みゝ》の神經《しんけい》が興奮《こうふん》して居《ゐ》る。其《そ》れが凉《すゞ》しい夏《なつ》の夜《よ》で女《をんな》が男《をとこ》を待《ま》つ時《とき》には毎日《まいにち》汗《あせ》に汚《よご》れ易《やす》いさうして其《そ》の飾《かざ》りでなければ成《な》らぬ手拭《てぬぐひ》の洗濯《せんたく》に暇《ひま》どるのである。庭《には》の木陰《こかげ》に身《み》を避《さ》けてしんみりと互《たがひ》の胸《むね》を反覆《くりかへ》す時《とき》繁茂《はんも》した※[#「柿」の正字、第3水準1−85−57]《かき》や栗《くり》の木《き》は彼等《かれら》が唯《ゆゐ》一の味方《みかた》で月夜《つきよ》でさへ深《ふか》い陰翳《かげ》が安全《あんぜん》に彼等《かれら》を包《つゝ》む。空《そら》に冴《さ》えた月《つき》は放棄《はうき》してある手水盥《てうづだらひ》を覗《のぞ》いては冷《ひやゝ》かに笑《わら》うて居《ゐ》る。彼等《かれら》が餘《あま》りに暇《ひま》どつて居《ゐ》れば月《つき》はこつそりと首《くび》を傾《かたむ》けて木《こ》の葉《は》の間《あひだ》から覗《のぞ》いて見《み》る。其《そ》れでも猶《なほ》彼等《かれら》が屈託《くつたく》して居《を》れば、彼等《かれら》を庇護《ひご》して居《ゐ》る木《き》が※[#「柿」の正字、第3水準1−85−57]《かき》の木《き》であれば梢《こずゑ》からまだ青《あを》い實《み》を投《な》げて、其《そ》の瞬間《しゆんかん》驚《おどろ》き易《やす》い彼等《かれら》が欺《あざむ》かれて、彼等《かれら》の伴侶《なかま》の惡戯《あくぎ》であるかを疑《うたが》うては慌《あわ》てゝ周圍《しうゐ》を見《み》る時《とき》、繁茂《はんも》した大《おほ》きな葉《は》が凉《すゞ》しい風《かぜ》にさや/\と微笑《びせ
前へ
次へ
全239ページ中90ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長塚 節 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング