で嫣然《にこり》とする時《とき》にはそれが却《かへつ》て科《しな》をつくらせた。
「勘次《かんじ》さん譯《わけ》のねえもんだな、まあだ此間《こねえだ》だと思《おも》つてたのにな、嫁《よめ》にやつてもえゝ位《くれえ》ぢやねえけえ、お品《しな》さんもおめえ此《この》位《くれえ》の時《とき》ぢやなかつたつけかよ」女房等《にようばうら》は又《また》揶揄半分《からかひはんぶん》に恁《か》ういふこともいつた。おつぎは勘次《かんじ》がさういはれる時《とき》何時《いつ》も赤《あか》い顏《かほ》をして餘所《よそ》を向《む》いて畢《しま》ふのである。勘次《かんじ》はお品《しな》のことをいはれる度《たび》に、おつぎの身體《からだ》をさう思《おも》つては熟々《つく/″\》と見《み》る度《たび》に、お品《しな》の記憶《きおく》が喚返《よびかへ》されて一|種《しゆ》の堪《た》へ難《がた》い刺戟《しげき》を感《かん》ぜざるを得《え》ない。それと同時《どうじ》に女房《にようばう》が欲《ほ》しいといふ切《せつ》ない念慮《ねんりよ》を湧《わ》かすのである。遠慮《ゑんりよ》の無《な》い女房等《にようばうら》にお品《しな》の噺《はなし》をされるのは徒《いたづ》らに哀愁《あいしう》を催《もよほ》すに過《す》ぎないのであるが、又《また》一|方《ぼう》には噺《はなし》をして見《み》て貰《もら》ひたいやうな心持《こゝろもち》もしてならぬことがあつた。
「勘次《かんじ》さんどうしたい、えゝ鹽梅《あんべえ》のが有《あ》んだが後《あと》持《も》つてもよかねえかえ」と彼《かれ》に女房《にようばう》を周旋《しうせん》しようといふ者《もの》はお品《しな》が死《し》んでから間《ま》もなく幾《いく》らもあつた。勘次《かんじ》は只《たゞ》お品《しな》にのみ焦《こが》れて居《ゐ》たのであるが、段々《だん/\》日數《ひかず》が經《た》つて不自由《ふじいう》を感《かん》ずると共《とも》に耳《みゝ》を聳《そばだ》てゝさういふ噺《はなし》を聞《き》くやうに成《な》つた。然《しか》し其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《そんな》噺《はなし》をして聞《き》かせる人々《ひと/″\》は勘次《かんじ》の酷《ひど》い貧乏《びんばふ》なのと、二人《ふたり》の子《こ》が有《あ》るのとで到底《たうてい》後妻《ごさい》は居《ゐ》つかれないといふ見越《みこし》が先《さき》に立《た》つて、心底《しんそこ》から周旋《しうせん》を仕《し》ようといふのではない。唯《たゞ》暇《ひま》を惜《を》しがる勘次《かんじ》が何處《どこ》へでも鍬《くは》や鎌《かま》を棄《す》てゝ釣込《つりこ》まれるので遂《つひ》惡戯《いたづら》にじらして見《み》るのである。殊《こと》におつぎが大《おほ》きくなればなる程《ほど》、其《そ》の働《はたら》きが目《め》に立《た》てば立《た》つ程《ほど》後妻《ごさい》には居憎《ゐにく》い處《ところ》だと人《ひと》は思《おも》つた。貧乏世帶《びんばふじよたい》へ後妻《ごさい》にでもならうといふものには實際《じつさい》碌《ろく》な者《もの》は無《な》いといふのが一|般《ぱん》の斷案《だんあん》であつた。他人《ひと》は只《たゞ》彼《かれ》の心《こゝろ》を苛立《いらだ》たせた。さうして彼《かれ》の尋常外《なみはず》れた態度《たいど》が、却《かへつ》て惡戯好《いたづらず》きの心《こゝろ》を挑發《てうはつ》するのみであつた。
「まゝよう、まゝようでえ、まゝあな、ら、ぬう」
勘次《かんじ》は小聲《こごゑ》で唄《うた》うて行《ゆ》くのがどうかすると人《ひと》の耳《みゝ》にも響《ひゞ》くやうに成《な》つた。
 其《そ》の頃《ころ》は勘次《かんじ》の庭《には》の栗《くり》の梢《こずゑ》も、それへ繁殖《はんしよく》して残酷《ざんこく》に葉《は》を喰《く》ひ荒《あら》す栗毛蟲《くりけむし》のやうな毒々《どく/\》しい花《はな》が漸《やうや》く白《しろ》く成《な》つて、何處《どこ》の村落《むら》にもふつさりとした青葉《あをば》の梢《こずゑ》から栗《くり》の木《き》が比較的《ひかくてき》に多《おほ》いことを示《しめ》して其《そ》の白《しろ》い花《はな》が目《め》についた。村落《むら》を埋《うづ》めて居《ゐ》る梢《こずゑ》からふわ/\と蒸氣《ゆげ》が立《た》ち騰《あが》らうといふ形《かたち》に栗《くり》の花《はな》は一|杯《ぱい》である。空《そら》は降《ふ》らないながらに低《ひく》い雲《くも》が蟠《わだかま》つて、時々《とき/″\》目《め》に鮮《あざや》かで且《かつ》黒《くろ》ずんだ青葉《あをば》の上《うへ》にかつと黄色《きいろ》な明《あか》るい光《ひかり》を投《な》げる。何處《どこ》となく濕《しめ》つぽ
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