は手拭《てぬぐひ》の被《かぶ》りやうにも心《こゝろ》を配《くば》る只《たゞ》の女《をんな》である。それが家《いへ》に歸《かへ》れば直《たゞち》に苦《くる》しい所帶《しよたい》の人《ひと》に成《な》らねばならぬ。そこにおつぎの心《こゝろ》は別人《べつにん》の如《ごと》く異常《いじやう》に引《ひ》き緊《し》められるのであつた。
復《また》爽《さわや》かな初夏《しよか》が來《き》て百姓《ひやくしやう》は忙《せは》しくなつた。おつぎは死《し》んだお品《しな》が地機《ぢばた》に掛《か》けたのだといふ辨慶縞《べんけいじま》の單衣《ひとへ》を着《き》て出《で》るやうに成《な》つた。針《はり》を持《も》つやうに成《な》つた時《とき》おつぎは此《これ》も自分《じぶん》の手《て》で仕上《しあげ》たのであつた。夫《それ》は傍《そば》で見《み》て居《ゐ》ては危《あぶ》な相《さう》な手《て》もとで幾度《いくたび》か針《はり》の運《はこ》びやうを間違《まちが》つて解《と》いたこともあつたが、遂《しまひ》には身體《からだ》にしつくり合《あ》ふやうに成《な》つて居《ゐ》た。死《し》んだお品《しな》はおつぎが生《うま》れたばかりに直《すぐ》に竈《かまど》を別《べつ》にして、不見目《みじめ》な生計《くらし》をしたので當時《たうじ》は晴《はれ》の衣物《きもの》であつた其《そ》の單衣《ひとへ》に身《み》を包《つゝ》んで見《み》る機會《きくわい》もなく空《むな》しく藏《しま》つた儘《まゝ》になつて居《ゐ》たのである。それに其《そ》の頃《ころ》は紺《こん》が七日《なぬか》からも經《た》たねば沸《わか》ないやうな藍瓶《あゐがめ》で染《そめ》られたので、今《いま》の普通《ふつう》の反物《たんもの》のやうな水《みづ》で落《お》ちないかと思《おも》へば日《ひ》に褪《さ》めるといふのではなく、勘次《かんじ》がいつたやうに洗濯《せんたく》しても却《かへつ》て冴《さ》えるやうなので、それに地質《ぢしつ》もしつかりと丈夫《ぢやうぶ》なものであつた。おつぎが洗《あら》ひ曝《ざら》しの袷《あはせ》を棄《す》てゝ辨慶縞《べんけいじま》の單衣《ひとへ》で出《で》るやうに成《な》つてからは一際《ひときは》人《ひと》の注目《ちうもく》を惹《ひ》いた。例《れい》の赤《あか》い襷《たすき》が後《うしろ》で交叉《かうさ》して袖《そで》を短《みじか》く扱《こき》あげる。其《その》扱《こ》きあげられた肩《かた》は衣物《きもの》の皴《しわ》で少《すこ》し張《は》つて身體《からだ》を確乎《しつか》とさせて見《み》せる。現《あらは》れた腕《うで》には紺《こん》の手刺《てさし》が穿《うが》たれてある。漸《やうや》く暑《あつ》い日《ひ》を厭《いと》うておつぎは白《しろ》い菅笠《すげがさ》を戴《いたゞ》いた。白《しろ》い菅笠《すげがさ》は雨《あめ》に曝《さら》されゝばそれで破《やぶ》れて畢《しま》ふので、夏《なつ》のはじめには屹度《きつと》何處《どこ》でも新《あたら》しいのに換《かへ》られるのである。おつぎは勘次《かんじ》に引《ひ》かれて麥《むぎ》の畦間《うねま》を耕《たがや》した。鍬《くは》を入《い》れるのが手後《ておく》れになつた麥《むぎ》は穗《ほ》が白《しろ》く出《で》て居《ゐ》る。時々《とき/″\》立《た》つて鍬《くは》に附《つ》いた土《つち》を足《あし》の底《そこ》で扱《こ》きおろすおつぎの姿《すがた》がさや/\と微《かす》かな響《ひゞき》を立《た》てゝ動《うご》く白《しろ》い穗《ほ》の上《うへ》に見《み》える。餘所《よそ》を一寸《ちよつと》見《み》る度《たび》に大《おほ》きな菅笠《すげがさ》がぐるりと動《うご》く。菅笠《すげがさ》は日《ひ》を避《さ》けるのみではなく女《をんな》の爲《ため》には風情《ふぜい》ある飾《かざり》である。髮《かみ》には白《しろ》い手拭《てぬぐひ》を被《かぶ》つて笠《かさ》の竹骨《たけぼね》が其《そ》の髮《かみ》を抑《おさ》へる時《とき》に其處《そこ》には小《ちひ》さな比較的《ひかくてき》厚《あつ》い蒲團《ふとん》が置《お》かれてある。さういふ間隔《かんかく》を保《たも》つて菅笠《すげがさ》は前屈《まへかゞ》みに高《たか》く据《す》ゑられるのである。女等《をんなら》は皆《みな》少時《しばし》の休憩時間《きうけいじかん》にも汗《あせ》を拭《ぬぐ》ふには笠《かさ》をとつて地上《ちじやう》に置《お》く。一《ひと》つには紐《ひも》の汚《よご》れるのを厭《いと》うて屹度《きつと》倒《さかさ》にして裏《うら》を見《み》せるのである。さうして厚《あつ》い笠蒲團《かさぶとん》の赤《あか》い切《きれ》が丸《まる》く白《しろ》い笠《かさ》の中央《まんなか》に黒《くろ》い絎紐《くけひも》と調和《てうわ》
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