あきら》かに形《かたち》を成《な》して居《ゐ》るのである。空《そら》からは暖《あたゝ》かい日光《につくわう》が招《まね》いて土《つち》からは長《なが》い手《て》がずん/\とさし扛《あ》げては更《さら》に長《なが》くさし扛《あ》げるので其《そ》の派手《はで》な花《はな》が麥《むぎ》や小麥《こむぎ》の穗《ほ》にも沒却《ぼつきやく》されることなく廣《ひろ》い野《の》を占《し》めるのである。おつぎも其《そ》の心部《しんぶ》に見《み》える蕾《つぼみ》であつた。然《しか》し其《その》蕾《つぼみ》はさし扛《あ》げられないのみではなく壓《おさ》へる手《て》の強《つよ》い力《ちから》が加《くは》へられてある。勘次《かんじ》は寸時《すんじ》もおつぎを自分《じぶん》の側《そば》から放《はな》すまいとして居《ゐ》る。隨《したが》つて空《そら》の日光《につくわう》が招《まね》くやうに女《をんな》の心《こゝろ》を促《うなが》すべき村《むら》の青年《せいねん》との間《あひだ》にはおつぎは何《なん》の關係《くわんけい》も繋《つな》がれなかつた。おつぎが十七といふ年齡《とし》を聞《き》いて孰《いづ》れも今更《いまさら》のやうに其《そ》の注意《ちうい》を惹起《ひきおこ》したのである。冬《ふゆ》の季節《きせつ》に埃《ほこり》を捲《ま》いて來《く》る西風《にしかぜ》は先《ま》づ何處《どこ》よりもおつぎの家《いへ》の雨戸《あまど》を今日《けふ》も來《き》たぞと叩《たゝ》く。それは村《むら》の西端《せいたん》に在《あ》るからである。位置《ゐち》がさういふ逐《お》ひやられたやうな形《かたち》に成《な》つて居《ゐ》る上《うへ》に、生活《せいくわつ》の状態《じやうたい》から自然《しぜん》に或《ある》程度《ていど》までは注意《ちうい》の目《め》から逸《そ》れて日陰《ひかげ》に居《ゐ》ると等《ひと》しいものがあつたのである。勘次《かんじ》の監督《かんとく》の手《て》は蕾《つぼみ》の成長《せいちやう》を止《とゞ》める冷《ひやゝ》かな空氣《くうき》で、さうして之《これ》を覗《ねら》ふものを防遏《ばうあつ》する堅固《けんご》な牆壁《しやうへき》である。然《しか》し春《はる》の季節《きせつ》を地上《ちじやう》の草木《さうもく》が知《し》つた時、どれ程《ほど》白《しろ》く霜《しも》が結《むす》んでも草木《さうもく》の活力《くわつりよく》は動《うご》いて止《や》まぬ如《ごと》く、おつぎの心《こゝろ》は外部《ぐわいぶ》から加《くは》へる監督《かんとく》の手《て》を以《もつ》て奪《うば》ひ去《さ》ることは出來《でき》ない。
 おつぎは勘次《かんじ》の後《あと》へ跟《つ》いて畑《はたけ》へ往來《わうらい》する途上《とじやう》で紺《こん》の仕事衣《しごとぎ》に身《み》を堅《かた》めた村《むら》の青年《せいねん》に逢《あ》ふ時《とき》には有繋《さすが》に心《こゝろ》は惹《ひ》かされた。肩《かた》にした鍬《くは》の柄《え》へおつぎは兩手《りやうて》を掛《か》けて居《ゐ》る。其《その》握《にぎ》つた手《て》に頬《ほゝ》を持《も》たせるやうにして、おつぎは幾《いく》らか首《くび》を傾《かたむ》けつゝ手拭《てぬぐひ》の下《した》から黒《くろ》い瞳《ひとみ》で青年《せいねん》を見《み》るのであつた。勘次《かんじ》は後《あと》から跟《つ》いて來《く》るおつぎの態度《たいど》まで知《し》ることは出來《でき》なかつた。おつぎは數次《しば/\》さうして村《むら》の青年《せいねん》を見《み》た。然《しか》し一|語《ご》も交換《かうくわん》する機會《きくわい》を有《も》たなかつた。おつぎはどうといふこともなく寧《むし》ろ殆《ほとん》ど無意識《むいしき》に行《ゆ》き交《か》ふ青年《せいねん》を見《み》るのであつたが、手拭《てぬぐひ》の下《した》に光《ひか》る暖《あたゝ》かい二《ふた》つの瞳《ひとみ》には情《じやう》を含《ふく》んで居《ゐ》ることが青年等《せいねんら》の目《め》にも微妙《びめう》に感應《かんおう》した。恁《か》うしておつぎもいつか口《くち》の端《は》に上《のば》つたのである。それでも到底《たうてい》青年《せいねん》がおつぎと相《あひ》接《せつ》するのは勘次《かんじ》の監督《かんとく》の下《もと》に白晝《はくちう》往來《わうらい》で一|瞥《べつ》して行《ゆ》き違《ちが》ふ其《その》瞬間《しゆんかん》に限《かぎ》られて居《ゐ》た。それ故《ゆゑ》一|般《ぱん》の子女《しぢよ》のやうではなくおつぎの心《こゝろ》にも男《をとこ》に對《たい》する恐怖《きようふ》の幕《まく》を無理《むり》に引拂《ひきはら》はれる機會《きくわい》が嘗《かつ》て一度《ひとたび》も與《あた》へられなかつた。おつぎは往來《わうらい》を行《ゆ》くとて
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