入《しいれ》をするのには田圃《たんぼ》を越《こ》えたり林《はやし》を通《とほ》つたりして遠《とほ》くへ行《ゆ》かねばならぬ。それでお品《しな》は其《その》途中《とちう》で商《あきなひ》をしようと思《おも》つて此《こ》の日《ひ》も豆腐《とうふ》を擔《かつ》いで出《で》た。生憎《あいにく》夜《よる》から冴《さ》え切《き》つて居《ゐ》た空《そら》には烈《はげ》しい西風《にしかぜ》が立《た》つて、それに逆《さから》つて行《ゆ》くお品《しな》は自分《じぶん》で酷《ひど》く足下《あしもと》のふらつくのを感《かん》じた。ぞく/\と身體《からだ》が冷《ひ》えた。さうして豆腐《とうふ》を出《だ》す度《たび》に水《みづ》へ手《て》を刺込《さしこ》むのが慄《ふる》へるやうに身《み》に染《し》みた。かさ/\に乾燥《かわ》いた手《て》が水《みづ》へつける度《たび》に赤《あか》くなつた。皹《ひゞ》がぴり/\と痛《いた》んだ。懇意《こんい》なそここゝでお品《しな》は落葉《おちば》を一燻《ひとく》べ焚《た》いて貰《もら》つては手《て》を翳《かざ》して漸《やつ》と暖《あたゝ》まつた。蒟蒻《こんにやく》を仕入《しい》れて出《で》た時《とき》はそんなこんなで暇《ひま》をとつて何時《いつ》になく遲《おそ》かつた。お品《しな》は林《はやし》を幾《いく》つも過《す》ぎて自分《じぶん》の村《むら》へ急《いそ》いだが、疲《つか》れもしたけれど懶《ものう》いやうな心持《こゝろもち》がして幾度《いくたび》か路傍《みちばた》へ荷《に》を卸《おろ》しては休《やす》みつゝ來《き》たのである。
 お品《しな》は手桶《てをけ》の柄《え》へ横《よこ》たへた竹《たけ》の天秤《てんびん》へ身《み》を投《な》げ懸《か》けてどかりと膝《ひざ》を折《を》つた。ぐつたり成《な》つたお品《しな》はそれでなくても不見目《みじめ》な姿《すがた》が更《さら》に檢束《しどけ》なく亂《みだ》れた。西風《にしかぜ》の餘波《なごり》がお品《しな》の後《うしろ》から吹《ふ》いた。さうして西風《にしかぜ》は後《うしろ》で括《くゝ》つた穢《きたな》い手拭《てぬぐひ》の端《はし》を捲《まく》つて、油《あぶら》の切《き》れた埃《ほこり》だらけの赤《あか》い髮《かみ》の毛《け》を扱《こ》きあげるやうにして其《その》垢《あか》だらけの首筋《くびすぢ》を剥出《むきだし》にさせて居《ゐ》る。夫《それ》と共《とも》に林《はやし》の雜木《ざふき》はまだ持前《もちまへ》の騷《さわ》ぎを止《や》めないで、路傍《みちばた》の梢《こずゑ》がずつと繞《しな》つてお品《しな》の上《うへ》からそれを覗《のぞ》かうとすると、後《うしろ》からも/\林《はやし》の梢《こずゑ》が一|齊《せい》に首《くび》を出《だ》す。さうして暫《しばら》くしては又《また》一|齊《せい》に後《うしろ》へぐつと戻《もど》つて身體《からだ》を横《よこ》に動搖《ゆさぶり》ながら笑《わら》ひ私語《さゞめ》くやうにざわ/\と鳴《な》る。
 お品《しな》は身體《からだ》に變態《へんたい》を來《きた》したことを意識《いしき》すると共《とも》に恐怖心《きようふしん》を懷《いだ》きはじめた。三四|日《か》どうもなかつたから大丈夫《だいぢやうぶ》だとは思《おも》つて見《み》ても、恁《か》う凝然《ぢつ》として居《ゐ》ると遠《とほ》くの方《ほう》へ滅入《めい》つて畢《しま》ふ樣《やう》な心持《こゝろもち》がして、不斷《ふだん》から幾《いく》らか逆上性《のぼせしやう》でもあるのだがさう思《おも》ふと耳《みゝ》が鳴《な》るやうで世間《せけん》が却《かへつ》て靜《しづ》かに成《な》つて畢《しま》つたやうに思《おも》はれた。不圖《ふと》氣《き》が付《つ》いた時《とき》お品《しな》ははき/\として天秤《てんびん》を擔《かつ》いだ。林《はやし》が竭《つ》きて田圃《たんぼ》が見《み》え出《だ》した。田圃《たんぼ》を越《こ》せば村《むら》で、自分《じふん》の家《いへ》は田圃《たんぼ》のとりつきである。青《あを》い煙《けぶり》がすつと騰《のぼ》つて居《ゐ》る。お品《しな》は二人《ふたり》の子供《こども》を思《おも》つて心《こゝろ》が跳《をど》つた。林《はやし》の外《はづ》れから田圃《たんぼ》へおりる處《ところ》は僅《わづ》かに五六|間《けん》であるが、勾配《こうばい》の峻《けは》しい坂《さか》でそれが雨《あめ》のある度《たび》にそこらの水《みづ》を聚《あつ》めて田圃《たんぼ》へ落《おと》す口《くち》に成《な》つて居《ゐ》るので自然《しぜん》に土《つち》が抉《ゑぐ》られて深《ふか》い窪《くぼみ》が形《かたちづく》られて居《ゐ》る。お品《しな》は天秤《てんびん》を斜《なゝめ》に横《よこ》へ向《む》けて、右《みぎ》の手《て》
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