を前《まへ》の手桶《てをけ》の柄《え》へ左《ひだり》の手《て》を後《うしろ》の手桶《てをけ》の柄《え》へ掛《か》けて注意《ちうい》しつゝおりた。それでも殆《ほと》んど手桶《てをけ》一|杯《ぱい》に成《な》り相《さう》な蒟蒻《こんにやく》の重量《おもみ》は少《すこ》しふらつく足《あし》を危《あやう》く保《たも》たしめた。やつと人《ひと》の行《ゆ》き違《ちが》ふだけの狹《せま》い田圃《たんぼ》をお品《しな》はそろ/\と運《はこ》んで行《ゆ》く。お品《しな》は白茶《しらちや》けた程《ほど》古《ふる》く成《な》つた股引《もゝひき》へそれでも先《さき》の方《ほう》だけ繼《つ》ぎ足《た》した足袋《たび》を穿《は》いて居《ゐ》る。大《おほ》きな藁草履《わらざうり》は固《かた》めたやうに霜解《しもどけ》の泥《どろ》がくつゝいて、それがぼた/\と足《あし》の運《はこ》びを更《さら》に鈍《にぶ》くして居《ゐ》る。狹《せま》く連《つらな》つて居《ゐ》る田《た》を竪《たて》に用水《ようすゐ》の堀《ほり》がある。二三株《にさんかぶ》比較的《ひかくてき》大《おほ》きな榛《はん》の木《き》の立《た》つて居《ゐ》る處《ところ》に僅《わづか》一枚《いちまい》板《いた》の橋《はし》が斜《なゝめ》に架《か》けてある。お品《しな》は橋《はし》の袂《たもと》で一寸《ちよつと》立《た》ち止《どま》つた。さうして近《ちか》づいた自分《じぶん》の家《いへ》を見《み》た。村落《むら》は臺地《だいち》に在《あ》るのでお品《しな》の家《いへ》の後《うしろ》は直《すぐ》に斜《なゝめ》に田圃《たんぼ》へずり落《お》ち相《さう》な林《はやし》である。楢《なら》や雜木《ざふき》の間《あひだ》に短《みじか》い竹《たけ》が交《まじ》つて居《ゐ》る。いゝ加減《かげん》大《おほ》きくなつた楢《なら》の木《き》は皆《みな》葉《は》が落《お》ち盡《つく》して居《ゐ》るので、其《その》小枝《こえだ》を透《とほ》して凹《くぼ》んだ棟《やのむね》が見《み》える。白《しろ》い羽《はね》の鷄《にはとり》が五六|羽《ぱ》、がり/\と爪《つめ》で土《つち》を掻《か》つ掃《ぱ》いては嘴《くちばし》でそこを啄《つゝ》いて又《また》がり/\と土《つち》を掻《か》つ掃《ぱ》いては餘念《よねん》もなく夕方《ゆふがた》の飼料《ゑさ》を求《もと》めつゝ田圃《たんぼ》から林《はやし》へ還《かへ》りつゝある。お品《しな》は非常《ひじやう》な注意《ちうい》を以《もつ》て斜《なゝめ》な橋《はし》を渡《わた》つた。四足目《よあしめ》にはもう田圃《たんぼ》の土《つち》に立《た》つた。其《その》時《とき》は日《ひ》は疾《とう》に沒《ぼつ》して見渡《みわた》す限《かぎ》り、田《た》から林《はやし》から世間《せけん》は只《たゞ》黄褐色《くわうかつしよく》に光《ひか》つてさうしてまだ明《あか》るかつた。お品《しな》は田圃《たんぼ》からあがる前《まへ》に天秤《てんびん》を卸《おろ》して左《ひだり》へ曲《まが》つた。自分《じぶん》の家《いへ》の林《はやし》と田《た》との間《あひだ》には人《ひと》の足趾《あしあと》だけの小徑《こみち》がつけてある。お品《しな》は其《その》小徑《こみち》と林《はやし》との境界《さかひ》を劃《しき》つて居《ゐ》る牛胡頽子《うしぐみ》の側《そば》に立《たつ》た。鷄《にはとり》の爪《つめ》の趾《あと》が其處《そこ》の新《あた》らしい土《つち》を掻《か》き散《ち》らしてあつた。お品《しな》は土《つち》を手《て》で聚《あつ》めて草履《ざうり》の底《そこ》でそく/\とならした。お品《しな》の姿《すがた》が庭《には》に見《み》えた時《とき》には西風《にしかぜ》は忘《わす》れたやうに止《や》んで居《ゐ》て、庭先《にはさき》の栗《くり》の木《き》にぶつ懸《か》けた大根《だいこ》の乾《から》びた葉《は》も動《うご》かなかつた。白《しろ》い鷄《にはとり》はお品《しな》の足《あし》もとへちよろ/\と駈《か》けて來《き》て何《なに》か欲《ほ》し相《さう》にけろつと見上《みあげ》た。お品《しな》は平常《いつも》のやうに鷄《にはとり》抔《など》へ構《かま》つては居《ゐ》られなかつた。お品《しな》は戸口《とぐち》に天秤《てんびん》を卸《おろ》して突然《いきなり》
「おつう」と喚《よ》んだ。
「おつかあか」と直《すぐ》におつぎの返辭《へんじ》が威勢《ゐせい》よく聞《きこ》えた。それと同時《どうじ》に竈《かまど》の火《ひ》がひら/\と赤《あか》くお品《しな》の目《め》に映《うつ》つた。朝《あさ》から雨戸《あまど》は開《あ》けないので内《うち》はうす闇《くら》くなつて居《ゐ》る。外《そと》の光《ひかり》を見《み》て居《ゐ》たお品《しな》の目《め》には直《す》
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