吉《よきち》が生《うま》れた。此《こ》の時《とき》は勘次《かんじ》もお品《しな》も腹《はら》の子《こ》を大切《たいせつ》にした。女《をんな》の子《こ》が十三といふともう役《やく》に立《た》つので、與吉《よきち》を育《そだ》てながら夫婦《ふうふ》は十|分《ぶん》に働《はたら》くことが出來《でき》た。與吉《よきち》が三つに成《な》つたのでおつぎは他《よそ》へ奉公《ほうこう》に出《だ》すことに夫婦《ふうふ》の間《あひだ》には決定《けつてい》された。其《そ》の頃《ころ》十五の女《をんな》の子《こ》では一|年《ねん》の給金《きふきん》は精々《せい/″\》十|圓《ゑん》位《ぐらゐ》のものであつた。それでもそれ丈《だけ》の收入《しうにふ》の外《ほか》に食料《しよくれう》の減《げん》ずることが貧乏《びんばふ》な世帶《しよたい》には非常《ひじやう》な影響《えいきやう》なのである。それが稻《いね》の穗首《ほくび》の垂《た》れる頃《ころ》からお品《しな》は思案《しあん》の首《くび》を傾《かし》げるやうになつた。身體《からだ》の容子《ようす》が變《へん》に成《な》つたことを心付《こゝろづ》いたからである。十|年《ねん》餘《あまり》も保《も》たなかつた腹《はら》は與吉《よきち》が止《とま》つてから癖《くせ》が附《つ》いたものと見《み》えて又《また》姙娠《にんしん》したのである。お品《しな》も勘次《かんじ》もそれには當惑《たうわく》した。おつぎを奉公《ほうこう》に出《だ》して畢《しま》へば、二人《ふたり》の子《こ》を抱《だ》いてお品《しな》は從來《これまで》のやうに働《はたら》くことが出來《でき》ない、僅《わづか》な稼《かせぎ》でもそれが停止《ていし》されることは彼等《かれら》の生活《せいくわつ》の爲《ため》には非常《ひじやう》な打撃《だげき》でなければならぬ。其《そ》の内《うち》に稻《いね》を刈《か》つたり、籾《もみ》を干《ほ》したり忙《いそが》しい收穫《しうくわく》の季節《きせつ》が來《き》て、冴《さ》えた空《そら》の下《した》に夫婦《ふうふ》は毎日《まいにち》埃《ほこり》を浴《あ》びて居《ゐ》た。有繋《さすが》に罪《つみ》なやうな心持《こゝろもち》もするので夫婦《ふうふ》は只《たゞ》困《こま》つて其《そ》の日《ひ》を過《すご》して居《ゐ》た。それも夜《よる》に成《な》つて疲《つか》れた身體《からだ》を横《よこ》にし甘睡《かんすゐ》に陷《おちい》るまでの少時間《せうじかん》彼等《かれら》は互《たがひ》に決《けつ》し難《がた》い思案《しあん》を交換《かうくわん》するのであつた。從來《これまで》も夫婦《ふうふ》の間《あひだ》は孰《いづ》れが本位《ほんゐ》であるか分《わか》らぬ程《ほど》勘次《かんじ》には決斷《けつだん》の力《ちから》が缺乏《けつばふ》して居《ゐ》た。
「どうでもおめえの腹《はら》だから好《す》きにした方《はう》がえゝやな」勘次《かんじ》は恁《か》ういふのである。然《しか》しそれは怎的《どう》でもいゝといふ云《い》ひ擲《なぐ》りではなくて、凡《すべ》てがお品《しな》に對《たい》して命令《めいれい》をするには勘次《かんじ》の心《こゝろ》は餘《あま》り憚《はばか》つて居《ゐ》たのである。
「そんでも、俺《おれ》がにも困《こま》んべな」お品《しな》は投《な》げ掛《か》けるやうにいふのである。勘次《かんじ》はお品《しな》が恁《か》うする積《つもり》だときつぱりいつて畢《しま》へば決《けつ》して反對《はんたい》をするのではない。といつてお品《しな》は獨斷《どくだん》で決行《けつかう》するのには餘《あま》り大事《だいじ》であつたのである。さうしてそれは決定《けつてい》される機會《きくわい》もなくて夫婦《ふうふ》は依然《いぜん》として農事《のうじ》に忙殺《ばうさつ》されて居《ゐ》た。
 其《そ》の間《あひだ》に空《そら》を渡《わた》る凩《こがらし》が俄《にはか》に哀《かな》しい音信《おどづれ》を齎《もたら》した。欅《けやき》の梢《こずゑ》は、どうでもう此《こ》れまでだといふやうに慌《あわたゞ》しく其《そ》の赭《あか》く成《な》つた枯葉《かれは》を地上《ちじやう》に投《な》げつけた。其《そ》の棄《す》て去《さ》られた輕《かろ》い小《ちひ》さな落葉《おちば》は、自分《じぶん》を引《ひ》き止《と》めて呉《く》れる蔭《かげ》を求《もと》めて轉々《ころ/\》と走《はし》つては干《ほ》した藁《わら》の間《あひだ》でも籾《もみ》の筵《むしろ》でも何處《どこ》でも其《そ》の身《み》を託《たく》した。周圍《あたり》は凡《すべ》てが只《たゞ》騷《さわ》がしく且《か》つ混雜《こんざつ》した。其《そ》の内《うち》に勘次《かんじ》は秋《あき》から募集《ぼしふ》のあつた開鑿工事《か
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