はなかご》とが其《その》傍《そば》に立《た》てられた。お品《しな》は生來《せいらい》土《つち》を踏《ふ》まない日《ひ》はないといつていゝ位《ぐらゐ》であつた。さうしてそれは凍《い》てる冬《ふゆ》の季節《きせつ》を除《のぞ》いては大抵《たいてい》は直接《ちよくせつ》に足《あし》の底《そこ》が土《つち》について居《ゐ》た。お品《しな》は恁《かう》して冷《つめ》たい屍《かばね》に成《な》つてからも其《そ》の足《あし》の底《そこ》は棺桶《くわんをけ》の板《いた》一|枚《まい》を隔《へだ》てただけで更《さら》に永久《えいきう》に土《つち》と相《あひ》接《せつ》して居《ゐ》るのであつた。
小《ちひ》さな葬式《さうしき》ながら柩《ひつぎ》が出《で》た後《あと》は旋風《つむじかぜ》が埃《ほこり》を吹《ふ》つ拂《ぱら》つた樣《やう》にからりとして居《ゐ》た。手傳《てつだひ》に來《き》て居《ゐ》た女房等《にようばうら》はそれでなくても膳立《ぜんだて》をする客《きやく》が少《すくな》くて暇《ひま》であつたから滅切《めつきり》手持《てもち》がなくなつた。それでも立《た》ちながら椀《わん》と箸《はし》とを持《も》つて口《くち》を動《うご》かして居《ゐ》るものもあつた。膳部《ぜんぶ》は極《きま》つた通《とほ》り皿《さら》も平《ひら》も壺《つぼ》もつけられた。それでも切昆布《きりこぶ》と鹿尾菜《ひじき》と油揚《あぶらげ》と豆腐《とうふ》との外《ほか》は百姓《ひやくしやう》の手《て》で作《つく》つたものばかりで料理《れうり》された。皿《さら》には細《こま》かく刻《きざ》んで鹽《しほ》で揉《も》んだ大根《だいこ》と人參《にんじん》との膾《なます》がちよつぽりと乘《の》せられた。さういふ残物《のこりもの》と冷《つめ》たく成《な》つた豆腐汁《とうふじる》とをつゝいても麥《むぎ》の交《まじ》らぬ飯《めし》が其《そ》の口《くち》には此《こ》の上《うへ》もない滋味《じみ》なので、女房等《にようばうら》は其《そ》の強健《きやうけん》で且《かつ》擴大《くわくだい》された胃《ゐ》の容《い》れる限《かぎ》りは口《くち》が之《これ》を貪《むさぼ》つて止《や》まないのである。彼等《かれら》は裏戸《うらど》の陰《かげ》に聚《あつ》まつて雜談《ざつだん》に耽《ふけ》つた。
「どうしたつけまあ、酷《ひど》く棺桶《くわんをけ》ぐら/\したんぢやなかつたつけゝえ」
「其《その》筈《はず》だんべな、後《あと》が心配《しんぺえ》で仕《し》やうねえ佛《ほとけ》はあゝえに動《いご》くんだつちぞおめえ」
「勘次《かんじ》さんこと欲《ほ》しくつて後《あと》へ残《のこ》してくのが辛《つれ》えんだごつさら」
「そんだがよ、餘《あんま》り欲《ほ》しがられつと遂《しめえ》にや迎《むけえ》に來《き》て連《つ》れ行《ゆ》かれつとよ」
「おゝ厭《や》だ俺《お》ら」
「連《つ》れてつてくろつちつたつておめえ等《ら》こた迎《むけえ》に來《く》るものもあんめえな」
口々《くちぐち》に恁《こ》んなことが遠慮《ゑんりよ》もなく反覆《くりかへ》された。間《あひだ》が少時《しばし》途切《とぎ》れた時《とき》
「お品《しな》さんも可惜《あつたら》命《いのち》をなあ」と一人《ひとり》が思《おも》ひ出《だ》したやうにいつた。
「本當《ほんたう》だ他人《ひと》のやらねえこつてもありやしめえし」他《た》の女房《にようばう》が相槌《あひづち》を打《う》つた。
「風邪《かぜ》引《ひ》いたなんてか、今度《こんだ》の風邪《かぜ》は強《つえ》えから起《お》きらんねえなんて、しらばつくれてな」
「死《し》ぬ者《もの》貧乏《びんばふ》なんだよ」
「そんだがお品《しな》さんは自分《じぶん》のがばかりぢやねえつちんぢやねえけ」
「さうだとよ、大《え》けえ聲《こゑ》ぢやゆはんねえが、五十錢《ごくわん》とか八十錢《はちくわん》とか取《と》つて他人《ひと》のがも行《や》つたんだとよ」
「八十錢《はちくわん》づゝも取《と》つちやおめえ、女《をんな》の手《て》ぢやたえしたもんだがな、今度《こんだ》自分《じぶん》で死《し》んちまあなんて、行《や》んねえこつたなあ」
「罪《つみ》作《つく》つた罰《ばつ》ぢやねえか」
遠慮《ゑんりよ》もなくそれからそれと移《うつる》のである。
「そんなことゆつて、今《いま》出《で》た佛《ほとけ》のことをおめえ等《ら》、とつゝかれつから見《み》ろよ」
他《た》の一人《ひとり》の女房《にようばう》がいつた時《とき》噺《はなし》が暫時《しばらく》途切《とぎ》れて靜《しづ》まつた。一人《ひとり》の女房《にようばう》が皿《さら》の大根《だいこ》を手《て》で撮《つま》んで口《くち》へ入《い》れた。
「さうえ處《とこ》他人《ひと》に見《み》られた
前へ
次へ
全239ページ中28ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長塚 節 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング