い》をも痛《いた》く落膽《らくたん》せしめた。卯平《うへい》は七十一の老爺《おやぢ》であつた。一昨年《をととし》の秋《あき》から卯平《うへい》は野田《のだ》の醤油藏《しやうゆぐら》へ火《ひ》の番《ばん》に傭《やと》はれた。卯平《うへい》はお品《しな》が三つの時《とき》に、死《し》んだお袋《ふくろ》の處《ところ》へ入夫《にふふ》になつたのである。五つの時《とき》から甘《あま》へたのでお品《しな》は卯平《うへい》に懷《なづ》いて居《ゐ》た。お袋《ふくろ》の生《い》きて居《ゐ》るうちは卯平《うへい》もまだ壯《さかり》であつたが、お袋《ふくろ》が亡《な》くなつて卯平《うへい》の皺《しわ》が深《ふか》く刻《きざ》まれてからは以前《いぜん》から善《よ》くなかつた勘次《かんじ》との間《あひだ》が段々《だん/\》隔《へだ》つて、お品《しな》もそれには困《こま》つた。到頭《たうとう》村《むら》の紹介業《せうかいげふ》をして居《ゐ》る者《もの》の勸《すゝ》めに任《まかせ》て卯平《うへい》がいふ儘《まゝ》に奉公《ほうこう》に出《だ》したのであつた。
 病人《びやうにん》の枕元《まくらもと》に居《ゐ》た近所《きんじよ》の者《もの》は一|杯《ぱい》の茶《ちや》を啜《すゝ》つて村《むら》の姻戚《みより》へ知《し》らせに出《で》るものもあつた。それから葬式《さうしき》のことに就《つ》いて相談《さうだん》をした。葬式《さうしき》はほんの姻戚《みより》と近所《きんじよ》とだけで明日《あす》の内《うち》に濟《すま》すといふことに極《き》めた。夜《よ》があけると近所《きんじよ》の人々《ひとびと》は寺《てら》へ行《い》つたり無常道具《むじやうだうぐ》を買《か》ひに行《い》つたり、他村《たそん》の姻戚《みより》への知《し》らせに行《い》つたりして家《いへ》には近所《きんじよ》の女房《にようばう》が二三|人《にん》義理《ぎり》をいひに來《き》て居《ゐ》た。姻戚《みより》といつてもお品《しな》の爲《た》めには待《ま》たなくては成《な》らぬといふものはないので勘次《かんじ》はおつぎと共《とも》に筵《むしろ》を捲《まく》つて、其處《そこ》へ盥《たらひ》を据《す》ゑてお品《しな》の死體《したい》を淨《きよ》めて遣《や》つた。劇烈《げきれつ》な病苦《びやうく》の爲《た》めに其《その》力《ちから》ない死體《したい》はげつ
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