へ口《くち》を當《あて》ていつた。今更《いまさら》のやうに近所《きんじよ》の者《もの》が頼《たの》まれて夜通《よどほ》しにも行《ゆ》くといふことに成《な》つた。
 次《つぎ》の日《ひ》の午餐過《ひるすぎ》に卯平《うへい》は使《つかひ》と共《とも》にのつそりと其《そ》の長大《ちやうだい》な躯幹《からだ》を表《おもて》の戸口《とぐち》に運《はこ》ばせた。彼《かれ》は閾《しきゐ》を跨《また》ぐと共《とも》に、其《その》時《とき》はもう只《たゞ》痛《いた》い/\というて泣訴《きふそ》して居《ゐ》る病人《びやうにん》の聲《こゑ》を聞《き》いた。
「何處《どこ》が痛《いた》いんだ、少《すこ》しさすらせて見《み》つか」勘次《かんじ》が聞《き》いても
「背中《せなか》が仕《し》やうがねえんだよ」と病人《びやうにん》はいふのみである。
「お品《しな》さん、おとつゝあ來《き》たよ、確乎《しつかり》しろよ」と近所《きんじよ》の女房《にようばう》がいつた。それを聞《き》いてお品《しな》は暫時《しばし》靜《しづ》かに成《な》つた。
「品《しな》どうしたえ、大儀《こは》えのか」寡言《むくち》な卯平《うへい》は此《これ》だけいつた。
「おとつゝあ待《ま》つてたよ、俺《お》ら仕《し》やうねえよ」お品《しな》は情《なさけ》なさ相《さう》にいつた。
「うむ、困《こま》つたなあ」卯平《うへい》は深《ふか》い皺《しわ》を蹙《しが》めていつた。さうして後《あと》は一|言《ごん》もいはない。お品《しな》の病状《びやうじやう》は段々《だん/\》險惡《けんあく》に陷《おちい》つた。醫者《いしや》はモルヒネの注射《ちうしや》をして僅《わづか》に睡眠《すゐみん》の状態《じやうたい》を保《たも》たせて其《そ》の苦痛《くつう》から遁《のが》れさせようとした。それでも暫《しばら》くすると病人《びやうにん》は復《ま》た意識《いしき》を恢復《くわいふく》して、びり/\と身體《からだ》を撼《ふる》はせて、太《ふと》い繩《なは》でぐつと吊《つる》されたかと思《おも》ふやうに後《うしろ》へ反《そりかへ》つて、其《その》劇烈《げきれつ》な痙攣《けいれん》に苦《くる》しめられた。
「先生《せんせい》さん、わたしや此《こ》れでもどうしたものでがせうね」お品《しな》は突然《とつぜん》に聞《き》いた。醫者《いしや》は只《たゞ》口髭《くちひげ》
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