一罎《ひとびん》が七十五|錢《せん》づゝだといはれて、勘次《かんじ》は懷《ふところ》が急《きふ》にげつそりと減《へ》つた心持《こゝろもち》がした。彼《かれ》は蜻蛉返《とんぼがへ》りに歸《かへ》つて來《き》た。醫者《いしや》の家《うち》からは注射器《ちうしやき》を渡《わた》してくれた。他《ほか》の病家《びやうか》を診《み》て醫者《いしや》は夕刻《ゆふこく》に來《き》た。醫者《いしや》はお品《しな》の大腿部《だいたいぶ》を濕《しめ》したガーゼで拭《ぬぐ》つてぎつと肉《にく》を抓《つま》み上《あ》げて針《はり》をぷつりと刺《さ》した。暫《しばら》くして針《はり》を拔《ぬ》いて指《ゆび》の先《さき》で針《はり》の趾《あと》を抑《おさ》へて其處《そこ》へ絆創膏《ばんさうかう》を貼《は》つた。それが凡《すべ》て薄闇《うすくら》い手《て》ランプの光《ひかり》で行《おこな》はれた。勘次《かんじ》に手《て》ランプを近《ちか》づけさせて醫者《いしや》はやつと注射《ちうしや》を畢《をは》つた。
翌日《よくじつ》の午前《ごぜん》に來《き》て醫者《いしや》は復《また》注射《ちうしや》をして大抵《たいてい》此《こ》れでよからうといつて去《さ》つた。然《しか》しお品《しな》の容態《ようだい》は依然《いぜん》として恢復《くわいふく》の徴候《ちようこう》がないのみでなく次第《しだい》に大儀相《たいぎさう》に見《み》えはじめた。お品《しな》は其《そ》の夕刻《ゆふこく》から俄《には》かに痙攣《けいれん》が起《おこ》つた。身體《からだ》がびり/\と撼《ゆる》ぎながら手《て》も足《あし》も引《ひ》き緊《し》められるやうに後《うしろ》へ反《そ》つた。痙攣《けいれん》は時々《ときどき》發作《ほつさ》した。其《その》度《たび》毎《ごと》に病人《びやうにん》は見《み》て居《ゐ》られない程《ほど》苦惱《くなう》する。顏《かほ》が妙《めう》に蹙《しが》んで口《くち》が無理《むり》に横《よこ》へ引《ひ》き吊《つ》られるやうに見《み》える。勘次《かんじ》はたつた一人《ひとり》のおつぎを相手《あひて》に手《て》の出《だ》しやうもなかつた。さうしてしら/\明《あ》けといふと直《すぐ》に又《また》醫者《いしや》へ駈《か》けつけた。醫者《いしや》は復《また》藥舖《くすりや》へ行《い》つて來《こ》いといつた。勘次《かんじ》は又《ま
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