のど》が狹《せば》められたやうに感《かん》じた。それで自分《じぶん》にもどうすることも出來《でき》ないのに驚《おどろ》いた。勘次《かんじ》も吃驚《びつくり》して起《お》きた。
「どうしたんだよ大層《たえそ》惡《わり》いのか、朝《あさ》までしつかりしてろよ」と力《ちから》をつけて見《み》たが、自分《じぶん》でもどうしていゝのか解《わか》らないので只《たゞ》はら/\しながら夜《よ》を明《あか》した。勘次《かんじ》は只《たゞ》お品《しな》が心配《しんぱい》になるので、近所《きんじよ》の者《もの》を頼《たの》んで取《と》り敢《あへ》ず醫者《いしや》へ走《はし》らせた。さうして自分《じぶん》は枕元《まくらもと》へくつゝいて居《ゐ》た。彼等《かれら》は容易《ようい》なことで醫者《いしや》を聘《よ》ぶのではなかつた。然《しか》し其《その》最《もつと》も恐《おそ》れを懷《いだ》くべき金錢《きんせん》の問題《もんだい》が其《その》心《こゝろ》を抑制《よくせい》するには勘次《かんじ》は餘《あま》りに慌《あわ》てゝ且《かつ》驚《おどろ》いて居《ゐ》た。醫者《いしや》は鬼怒川《きぬがは》を越《こ》えて東《ひがし》に居《ゐ》る。
勘次《かんじ》は草臥《くたぶ》れやしないかといつてはお品《しな》の足《あし》をさすつた。それでもお品《しな》の大儀相《たいぎさう》な容子《ようす》が彼《かれ》の臆《おく》した心《こゝろ》にびり/\と響《ひゞ》いて、迚《とて》も午後《ごゞ》までは凝然《ぢつ》として居《ゐ》ることが出來《でき》なくなつた。近所《きんじよ》の女房《にようばう》が見《み》に來《き》て呉《く》れたのを幸《さいは》ひに自分《じぶん》も後《あと》から走《はし》つて行《い》つた。鬼怒川《きぬがは》の渡《わたし》の船《ふね》で先刻《さつき》の使《つか》ひと行違《ゆきちがひ》に成《な》つた。船《ふね》から詞《ことば》が交換《かうくわん》された。勘次《かんじ》は醫者《いしや》と一|緒《しよ》に歸《かへ》るからさういつてお品《しな》に安心《あんしん》させて呉《く》れといつて醫者《いしや》の門《もん》を叩《たゝ》いた。醫者《いしや》は丁度《ちやうど》そつちへ行《ゆ》く序《ついで》も有《あ》つたからと悠長《いうちやう》である。屹度《きつと》行《い》つては呉《く》れるにしても其《そ》の後《あと》に跟《つ》いて行
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