》は此《こ》の土地《とち》でも綿《わた》が採《と》れたので、夜《よ》なべには女《をんな》が皆《みな》竹※[#「竹かんむり/(目+目)/隻」、第4水準2−83−82]《たかわく》で絲《いと》を引《ひ》いた。綿打弓《わたうちゆみ》でびんびんとほかした綿《わた》は箸《はし》のやうな棒《ぼう》を心《しん》にして蝋燭《らふそく》位《ぐらゐ》の大《おほ》きさにくる/\と丸《まる》める。それがまるめ[#「まるめ」に傍点]である。此《こ》のまるめ[#「まるめ」に傍点]から不器用《ぶきよう》な百姓《ひやくしやう》の手《て》が自在《じざい》に絲《いと》を引《ひ》いた。此《こ》の頃《ごろ》では綿《わた》がすつかり採《と》れなくなつたので、まるめ[#「まるめ」に傍点]箱《ばこ》も煤《すゝ》けた儘《まゝ》稀《まれ》に保存《ほぞん》されて居《ゐ》るのも絲屑《いとくづ》や布《ぬの》の切端《きれはし》が入《い》れてある位《くらゐ》に過《す》ぎないのである。お品《しな》はそれから膨《ふく》れた巾着《きんちやく》の爲《た》めに跳《は》ねあげられた蒲團《ふとん》の端《はし》を手《て》で抑《おさ》へた。それから又《また》横《よこ》になつた。先刻《さつき》から疲勞《ひらう》したやうな心持《こゝろもち》に成《な》つて居《ゐ》たが横《よこ》になると身體《からだ》が溶《と》けるやうにぐつたりして微《かす》かに快《こゝろ》よかつた。
 其《そ》の晩《ばん》一|年中《ねんぢう》の臟腑《ざうふ》の砂拂《すなはらひ》だといふ冬至《とうじ》の蒟蒻《こんにやく》を皆《みんな》で喰《た》べた。お品《しな》は喰《そ》の日《ひ》は明日《あす》からでも起《お》きられるやうに思《おも》つて居《ゐ》た。さうして勘次《かんじ》は仕事《しごと》の埓《らち》が明《あ》いたので又《また》利根川《とねがは》へ行《ゆ》かれることゝ心《こゝろ》に期《き》して居《ゐ》た。

         四

 お品《しな》の容態《ようだい》は其《そ》の夜《よ》から激變《げきへん》した。勘次《かんじ》が漸《やうや》く眠《ねむり》に落《お》ちた時《とき》お品《しな》は
「口《くち》が開《あ》けなく成《な》つて仕《し》やうねえよう」と情《なさけ》ない聲《こゑ》でいつた。お品《しな》は顎《あご》が釘附《くきづけ》にされたやうに成《な》つて、唾《つば》を飮《の》むにも喉《
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