「爺《ぢい》打《ぶ》つとばしたんだわ」與吉《よきち》は勘次《かんじ》へいつた。
「どうしてだ」勘次《かんじ》は驚《おどろ》いた眼《め》を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》つて慌《あわ》てゝ聞《き》いた。
「座敷《ざしき》へ上《あが》つたら煙管《きせる》打《ぶ》つゝけたんだ。そんで俺《お》れ煙管《きせる》とつてやつたんだ」勘次《かんじ》は餌料《ゑさ》を撒《ま》いて鷄《とり》を聚《あつ》めて見《み》た。一|旦《たん》塒《とや》に就《つ》いた鷄《とり》が餌料《ゑさ》を見《み》てはみんな籃《かご》からばさ/\と飛《と》びおりてこツこツと鳴《な》きながら爪《つめ》で掻《か》つ拂《ぱ》き/\爭《あらそ》うて啄《つゝ》いた。勘次《かんじ》は遂《つひ》に鷄《とり》の數《かず》の不足《ふそく》して居《ゐ》ることを確《たしか》めざるを得《え》なかつた。卯平《うへい》は例《れい》の如《ごと》く豆腐《とうふ》でコツプ酒《ざけ》を傾《かたむ》けて來《き》て晩餐《ばんさん》を欲《ほつ》しなかつた。彼《かれ》の皺《しわ》深《ふか》く刻《きざ》んだ頬《ほゝ》にほんのりと赤味《あかみ》を帶《お》びて居《ゐ》た。彼《かれ》は火鉢《ひばち》の前《まへ》に胡坐《あぐら》を掻《か》いた儘《まゝ》一|言《ごん》もいはない。おつぎが甘《あま》えた舌《した》でいつても返辭《へんじ》もしなかつた。勘次《かんじ》も卯平《うへい》の側《そば》を退去《すさ》つて只《たゞ》恐《おそ》ろしく僻《ひが》んだ容子《ようす》をして居《ゐ》た。おつぎも遂《つひ》にいはなかつた。與吉《よきち》は只《たゞ》ぐつすりと眠《ねむ》つて居《ゐ》た。
 驚怖《きやうふ》の餘《あま》り物陰《ものかげ》に凝然《ぢつ》と潜伏《せんぷく》して居《ゐ》た鷄《とり》は次《つぎ》の朝《あさ》漸《やうや》く他《た》の鷄《とり》の群《むれ》に交《まじ》つて歩《ある》いたけれど幾《いく》らかまだ跛足《びつこ》曳《ひ》いて居《ゐ》た。勘次《かんじ》は態《わざ》と卯平《うへい》へ見《み》せつける樣《やう》に其《そ》の夜《よ》塒《とや》に就《つ》いた時《とき》其《そ》の鷄《とり》を籠《かご》に伏《ふ》せて、戸口《とぐち》の庭葢《にはぶた》の上《うへ》に三|日《か》も四|日《か》も置《お》いたのであつた。卯平《うへい》は捲《ま》きつけた紙《かみ》へ煙脂《
前へ 次へ
全478ページ中284ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長塚 節 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング