あた》はぬ程《ほど》忽《たちま》ちに空腹《くうふく》を感《かん》じて畢《しま》ふからである。隨《したが》つて孰《いづ》れの家庭《かてい》に在《あ》つても老者《らうしや》と壯者《さうしや》との間《あひだ》には此《こ》の點《てん》の調和《てうわ》が難事《なんじ》である。然《しか》し卯平《うへい》は老衰《らうすゐ》の身《み》を漸《やうや》くのことで投《な》げ掛《か》けた心《こゝろ》の底《そこ》に蟠《わだかま》つた遠慮《ゑんりよ》と性來《せいらい》の寡言《むくち》とで、自分《じぶん》から要求《えうきう》することは寸毫《すんがう》もなかつた。彼《かれ》は只《たゞ》空腹《くうふく》を凌《しの》ぐ爲《ため》に日毎《ひごと》に不味《まづ》い口《くち》を強《し》ひて動《うご》かしつゝあるのである。疎惡《そあく》な食料《しよくれう》は少時《せうじ》からおつぎの目《め》にも口《くち》にも熟《じゆく》して居《ゐ》るので、其處《そこ》には何《なん》の心《こゝろ》も附《つ》かなかつた。不味相《まづさう》な容子《ようす》をして箸《はし》を執《と》るのは卯平《うへい》が凡《すべ》ての場合《ばあひ》を通《つう》じての状態《じやうたい》なので、おつぎの目《め》には格別《かくべつ》の注意《ちうい》を起《おこ》さしむべき動機《どうき》が一《ひと》つも捉《とら》へられなかつた。恁《か》うしておつぎは卯平《うへい》に向《むか》つて彼《かれ》が幾分《いくぶん》づゝでも餘計《よけい》に滿足《まんぞく》し得《う》る程度《ていど》にまで心《こゝろ》を竭《つく》すことが、善意《ぜんい》を以《もつ》てしても寧《むし》ろ冷淡《れいたん》であるが如《ごと》く見《み》えねばならなかつた。然《しか》し卯平《うへい》は決《けつ》して衷心《ちうしん》からおつぎを憎《にく》まなかつた。卯平《うへい》は時々《とき/″\》外《そと》へ出《で》ては豆腐《とうふ》を喫《きつ》して自分《じぶん》の膳《ぜん》の箸《はし》を執《と》らぬことはあるのであつたが、それでも勘次《かんじ》は三|人《にん》のみが家族《かぞく》であつた時《とき》よりも※[#「穀」の「禾」に代えて「釆」、254−8]物《こくもつ》の減少《げんせう》する量《りやう》が殖《ふ》えて來《き》たことを忽《たちま》ちに目《め》に止《と》めた。何《ど》れ程《ほど》大《おほ》きな身體《からだ
前へ 次へ
全478ページ中281ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長塚 節 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング