た。
「菜《な》つ葉《ぱ》の漬《つけ》たなどうしたんべ」おつぎは顧《かへり》みて聞《き》いた。
「俺《お》ら要《い》らねえや、齒《は》悪《わる》くなつちやつて噛《か》まんねえから」
「そんぢや細《こま》かく刻《きざ》んだらどうしたんべ」おつぎはとん/\と庖丁《はうちやう》を使《つか》つた。
「お汁《つけ》まあ、ちつとも身《み》なんざねえや、よき汝《われ》みんな芋《いも》すくつちやつたな」
おつぎは鍋葢《なべぶた》をとつていつた。
「お汁《つけ》も何《なに》も要《い》らねえから一|杯《ぺえ》掻《か》つ込《こ》んべ」卯平《うへい》は遲緩《もどか》し相《さう》にいつた。
「そんぢや此《この》醤油《しやうゆ》掛《か》けてんべな」おつぎは卯平《うへい》の前《まへ》に膳《ぜん》を据《す》ゑて罎《びん》の醤油《しやうゆ》を菜漬《なづけ》へ掛《か》けた。
「それ、底《そこ》の方《はう》へ廻《まは》つて零《こぼ》れらな」勘次《かんじ》は先刻《さつき》から、怒《おこ》つたやうな羞《はに》かんだやうな、何《なん》だか落付《おちつき》の惡《わる》い手持《てもち》のない顏《かほ》をして、却《かへつ》て自分《じぶん》をば凝然《ぢいつ》と見《み》もせぬ卯平《うへい》の目《め》から外《そ》れるやうに、餘所《よそ》を見《み》ては又《また》ちらと卯平《うへい》を見《み》つゝあつたが此《この》時《とき》おつぎの手許《てもと》へ嘴《くちばし》を容《い》れた。其《そ》の時《とき》醤油《しやうゆ》がごつと出《で》て菜漬《なづけ》が漂《たゞよ》ふばかりに成《な》つた。
「そうれ見《み》ろ」勘次《かんじ》はそつけなくいつた。おつぎが罎《びん》を再《ふたゝ》び柱《はしら》の傍《そば》へ置《お》くと、
「まだ其處《そこ》で引《ひ》つくるけえしちや大變《たえへん》だぞ、戸棚《とだな》へでも入《せ》えて置《お》け」勘次《かんじ》は復《ま》た注意《ちうい》した。卯平《うへい》は藥罐《やくわん》の湯《ゆ》を注《つ》いで三|杯《ばい》を喫《きつ》した。僅《わづか》に醤油《しやうゆ》の味《あぢ》のみが數年來《すうねんらい》の彼《かれ》の舌《した》に好味《かうみ》たるを失《うしな》はなかつたが、挽割麥《ひきわりむぎ》の勝《か》つた粗剛《こは》い飯《めし》は齒齦《はぐき》が到底《たうてい》それを咀嚼《そしやく》し能《あた》はぬので
前へ
次へ
全478ページ中271ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長塚 節 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング