|浦《うら》に近《ちか》い低地《ていち》で、洪水《こうずゐ》が一|旦《たん》岸《きし》の草《くさ》を沒《ぼつ》すと湖水《こすゐ》は擴大《くわくだい》して川《かは》と一《ひと》つに只《たゞ》白々《しら/″\》と氾濫《はんらん》するのを、人工《じんこう》で築《きづ》かれた堤防《ていばう》が僅《わづか》に湖水《こすゐ》と川《かは》とを區別《くべつ》するあたりである。勘次《かんじ》は自分《じぶん》の土地《とち》と比較《ひかく》して茫々《ばう/\》たるあたりの容子《ようす》に呑《の》まれた。さうして工夫等《こうふら》に權柄《けんぺい》にこき使《つか》はれた。
勘次《かんじ》は愈《いよ/\》傭《やと》はれて行《ゆ》くとなつた時《とき》收穫《とりいれ》を急《いそ》いだ。冬至《とうじ》が近《ちか》づく頃《ころ》には田《た》はいふまでもなく畑《はたけ》の芋《いも》でも大根《だいこ》でもそれぞれ始末《しまつ》しなくてはならぬ。勘次《かんじ》はお品《しな》が起《お》きて竈《かまど》の火《ひ》を點《つ》けるうちには庭葢《にはぶた》へ籾《もみ》の筵《むしろ》を干《ほ》したりそれから獨《ひと》りで磨臼《すりうす》を挽《ひ》いたりして、それから大根《だいこ》も干《ほ》したり土《つち》へ活《い》けたりして闇《くら》いから闇《くら》いまで働《はたら》いた。それでも籾《もみ》が少《すこ》しと畑《はたけ》が少《すこ》し殘《のこ》つたのをお品《しな》がどうにかするといつたので出《で》て行《い》つたのである。
工事《こうじ》の箇所《かしよ》へは廿|里《り》もあつた。勘次《かんじ》は行《ゆ》けば直《すぐ》に錢《ぜに》になると思《おも》つたので漸《やうや》く一|圓《ゑん》ばかりの財布《さいふ》を懷《ふところ》にした。辨當《べんたう》をうんと背負《しよ》つたので目的地《もくてきち》へつくまでは渡錢《わたしせん》の外《ほか》には一|錢《せん》も要《い》らなかつた。
勘次《かんじ》は夜《よる》ついて其《その》次《つぎ》の日《ひ》には疲《つか》れた身體《からだ》で仕事《しごと》に出《で》た。彼《かれ》は半日《はんにち》でも無駄《むだ》な飯《めし》を喰《く》ふことを恐《おそ》れた。然《しか》し其《そ》の次《つぎ》の日《ひ》は過激《くわげき》な勞働《らうどう》から俗《ぞく》にそら手[#「そら手」に傍点]というて手《て
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