ご》けると思《おも》つて居《ゐ》るけれど、與吉《よきち》と巫山戯《ふざけ》たりして居《ゐ》るのを見《み》るとまだ子供《こども》だといふことが念頭《ねんとう》に浮《うか》ぶ。自分《じぶん》が勘次《かんじ》と相《あひ》知《し》つたのは十六の秋《あき》である。おつぎは恁《か》うして大人《おとな》らしく成《な》るであらうかと何時《いつ》になくそんなことを思《おも》つた。おつぎは十五であつた。
 午餐《ひる》もお品《しな》は欲《ほ》しくなかつた。自分《じぶん》でも今日《けふ》は商《あきなひ》に出《で》られないと諦《あきら》めた。明日《あす》に成《な》つたらばと思《おも》つて居《ゐ》た。然《しか》しそれは空頼《そらだのみ》であつた。お品《しな》は依然《いぜん》として枕《まくら》を離《はな》れられない。有繋《さすが》に不安《ふあん》の念《ねん》が先《さき》に立《た》つた。お品《しな》はつい近頃《ちかごろ》行《い》つた勘次《かんじ》の事《こと》が頻《しき》りに思《おも》ひ出《だ》されて、こつちであれ程《ほど》働《はたら》いて行《い》つたのに屹度《きつと》休《やす》みもしないで錢取《ぜにとり》をして居《ゐ》るのだらうと思《おも》ふと、寒《さむ》くてもシヤツ一《ひと》つになつて、後《のち》には其《その》シヤツの端《はし》が拔《ぬ》け出《だ》して能《よ》く臍《へそ》が出《で》ることや、夜《よる》になると能《よ》く骨《ほね》がみり/\する樣《やう》だといつたことが目《め》の前《まへ》にあるやうで何《なん》だか逢《あ》ひたくて堪《たま》らぬやうな心持《こゝろもち》がするのであつた。
 勘次《かんじ》は利根川《とねがは》の開鑿工事《かいさくこうじ》へ行《い》つて居《ゐ》た。秋《あき》の頃《ころ》から土方《どかた》が勸誘《くわんいう》に來《き》て大分《だいぶ》甘《うま》い噺《はなし》をされたので此《こ》の近村《きんそん》からも五六|人《にん》募集《ぼしふ》に應《おう》じた。勘次《かんじ》は工事《こうじ》がどんなことかも能《よ》く知《し》らなかつたが一|日《にち》の手間《てま》が五十|錢《せん》以上《いじやう》にもなるといふので、それが其《その》季節《きせつ》としては法外《はふぐわい》な値段《ねだん》なのに惚《ほ》れ込《こ》んで畢《しま》つたのである。工事《こうじ》の場所《ばしよ》は霞《かすみ》ヶ
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