つたつ》して來《き》たとはいひながら、竊《ひそか》に其《その》手《て》を執《と》られた時《とき》は、後《あと》では寧《むし》ろ悔《く》いるまでも羞恥《はぢ》と恐怖《おそれ》とそれから勘次《かんじ》を憚《はゞか》ることから由《よ》つて來《きた》る抑制《よくせい》の念《ねん》とが慌《あわ》てゝ其《そ》の手《て》を振《ふ》り※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]《もき》らせるのであつた。其《そ》れが段々《だん/\》厭《いや》でない誘惑《いうわく》の手《て》に乘《の》つて甘《あま》い味《あぢ》を僅《わづか》に感《かん》ずる程度《ていど》まで近《ちか》づいた刹那《せつな》一|切《さい》が破壞《はくわい》し去《さ》られたのである。おつぎは以前《いぜん》に還《かへ》つて恐怖《きようふ》の手《て》に深《ふか》く其《そ》の身《み》を沒却《ぼつきやく》せねばならなく成《な》つた。深《ふか》い罪惡《ざいあく》を包藏《はうざう》して居《ゐ》ない其《そ》の夜《よ》の事件《じけん》はそれで濟《す》んだ。勘次《かんじ》は依然《やつぱり》おつぎには只《たゞ》一《ひと》つしか無《な》い大樹《たいじゆ》の陰《かげ》であつた。然《しか》し勘次《かんじ》自身《じしん》には如何《どん》な種類《しゆるゐ》の物《もの》でも現在《げんざい》彼《かれ》の心《こゝろ》に與《あた》へ得《う》る滿足《まんぞく》の程度《ていど》は、失《うしな》うたお品《しな》を追憶《つゐおく》することから享《う》ける哀愁《あいしう》の十|分《ぶん》の一にも及《およ》ばない。彼《かれ》は最早《もはや》それ以上《いじやう》彼《かれ》の心裏《しんり》に残存《ざんぞん》して居《ゐ》る或《あ》る物《もの》をまで奪《うば》ひ去《さ》られることには堪《た》へないのである。彼《かれ》は僅《わづか》に三|人《にん》の家族《かぞく》が油《あぶら》の如《ごと》く水《みづ》に彈《はじ》かれても疎外《そぐわい》されても只《たゞ》凝結《ぎようけつ》して居《ゐ》ることにのみ、假令《たとひ》慰藉《ゐしや》されないまでも不安《ふあん》を感《かん》ずることなしに其《そ》の日《ひ》/\と刻《きざ》んで暮《くら》して行《ゆ》くことが出來《でき》るのである。彼《かれ》は一|度《ど》でもおつぎが自分《じぶん》を離《はな》れたことを發見《はつけん》し或《あるひ》は意識《いしき
前へ
次へ
全478ページ中190ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長塚 節 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング