入《はひ》らうとする時《とき》に其《そ》の狹《せま》い戸口《とぐち》が身《み》を入《い》るゝに足《た》りなければ徒《いたづ》らに首《くび》を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]《さ》し込《こ》んでは足掻《あが》いて/\さうして他《ほか》へ行《い》つて畢《しま》ふ。其《そ》れが一|度《ど》で斷念《だんねん》すれば其《そ》れ迄《まで》であるけれど、二度《ふたたび》三度《みたび》戸口《とぐち》に立《た》つて足掻《あが》き始《はじ》めれば、去《さ》つては來《きた》り、去《さ》つては來《きた》り、首筋《くびすぢ》の皮《かは》が擦《す》り剥《む》けて戸口《とぐち》に夥《したゝ》か血《ち》の趾《あと》を印《いん》しても執念《しふね》く餌料《ゑさ》を求《もと》めて止《や》まぬやうな形《かたち》でなければならぬ。各自《かくじ》の心《こゝろ》におつぎを何《ど》れ程《ほど》深《ふか》く思《おも》はうともそれは各自《かくじ》が有《いう》する權能《けんのう》に屬《ぞく》して居《ゐ》る。然《しか》しながらおつぎへ加《くは》へようとする其《その》手《て》を極端《きよくたん》に防遏《ばうあつ》しようとすることも勘次《かんじ》が有《いう》する權能《けんのう》である。相互《さうご》に其《そ》の權能《けんのう》を越《こ》えて他《た》の領域《りやうゐき》を冒《をか》す時《とき》其處《そこ》には必《かなら》ず葛藤《かつとう》が伴《ともな》はれる筈《はず》でなければ成《な》らぬ。若者《わかもの》は相《あひ》聚《あつ》まれば皆《みな》不平《ふへい》の情《じやう》を語《かた》り合《あ》うて、勝手《かつて》に勘次《かんじ》を邪魔《じやま》なこそつぱい者《もの》にして居《ゐ》た。其《その》癖《くせ》彼等《かれら》は皆《みな》互《たがひ》に自分《じぶん》獨《ひと》りのみがおつぎを獲《え》ようとして及《およ》ばぬ手《て》を延《の》ばして居《を》るのである。萬《まん》一|目的《もくてき》が遂《と》げられたことが有《あ》つたとしても其《そ》れは只《たゞ》一|人《にん》に限《かぎ》られて居《ゐ》て、爾餘《じよ》の幾人《いくにん》は空《むな》しく然《しか》も極《きは》めて輕《かる》い不快《ふくわい》と嫉妬《しつと》とから口々《くちぐち》に其《その》一|人《にん》に向《むか》つて厭味《いやみ》を
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