るだけ喧《やかま》しく只《たゞ》がしや/\と鳴《な》く。がしや/\が鳴《な》き出《だ》せば彼等《かれら》は安《やす》んじて雨戸《あまど》をこじるのである。それから又《また》箱《はこ》を轉《ころが》したやうな、隔《へだ》ての障子《しやうじ》さへ無《な》い小《ちひ》さな家《いへ》で女《をんな》が男《をとこ》を導《みちび》くとて、如何《どう》しても父母《ちゝはゝ》の枕元《まくらもと》を過《す》ぎねば成《な》らぬ時《とき》は、踏《ふ》めばぎし/\と鳴《な》る床板《ゆかいた》に二人《ふたり》の足音《あしおと》を憚《はゞか》つて女《をんな》は闇《やみ》に男《をとこ》を脊負《せお》ふのである。其處《そこ》には假令《たとへ》重量《ぢゆうりやう》が加《くは》へられても、それは巧《たくみ》に疲《つか》れて眠《ねむ》い父母《ちゝはゝ》の耳《みゝ》を欺《あざむ》くのである。
 一|般《ぱん》の子女《しぢよ》の境涯《きやうがい》は如此《かくのごとく》にして稀《まれ》には痛《いた》く叱《しか》られることもあつて其《その》時《とき》のみは萎《しを》れても明日《あす》は忽《たちま》ち以前《いぜん》に還《かへ》つて其《その》性情《せいじやう》の儘《まゝ》に進《すゝ》んで顧《かへり》みぬ。おつぎは其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《そんな》伴侶《なかま》と一|日《にち》でも一つに其《その》身《み》を放《はな》たれたことがないのである。
 勘次《かんじ》が什※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《どんな》に八釜敷《やかましく》おつぎを抑《おさ》へてもおつぎがそれで制《せい》せられても、勘次《かんじ》は村《むら》の若者《わかもの》がおつぎに想《おもひ》を懸《か》けることに掣肘《せいちう》を加《くは》へる些《さ》の力《ちから》をも有《いう》して居《を》らぬ。凡《すべ》ての村落《むら》の若者《わかもの》が女《をんな》を覘《ねら》はうとする時《とき》は隨分《ずゐぶん》執念《しふね》く其《そ》れは丁度《ちやうど》、追《お》へば忽《たちま》ちに遁《に》げる鷄《とり》がどうかして狹《せま》く戸口《とぐち》を開《ひら》いてある※[#「穀」の「禾」に代えて「釆」、169−5]倉《こくぐら》に好《この》む餌料《ゑさ》を見出《みいだ》して這
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