い》が餘《あまり》に彼等《かれら》を冷靜《れいせい》な方向《はうかう》に傾《かたむ》かしめて居《ゐ》る。それでなくても其《そ》の知《し》りたがり聞《き》きたがる性情《せいじやう》を刺戟《しげき》すべきことは些細《ささい》であるとはいひながら相《あひ》尋《つい》で彼等《かれら》の耳《みゝ》に聞《きこ》えるので勘次《かんじ》のみが問題《もんだい》では無《な》くなるのである。然《しか》しながら若《わか》い衆《しゆ》と稱《しよう》する青年《せいねん》の一|部《ぶ》は勘次《かんじ》の家《いへ》に不斷《ふだん》の注目《ちうもく》を怠《おこた》らない。其《そ》れはおつぎの姿《すがた》を忘《わす》れ去《さ》ることが出來《でき》ないからである。苟且《かりそめ》にも血液《けつえき》の循環《じゆんくわん》が彼等《かれら》の肉體《にくたい》に停止《ていし》されない限《かぎ》りは、一|旦《たん》心《こゝろ》に映《うつ》つた女《をんな》の容姿《かたち》を各自《かくじ》の胸《むね》から消滅《せうめつ》させることは不可能《ふかのう》でなければならぬ。然《しか》し彼等《かれら》は一|方《ぱう》に有《いう》して居《ゐ》る矛盾《むじゆん》した羞耻《しうち》の念《ねん》に制《せい》せられて燃《も》えるやうな心情《しんじやう》から竊《ひそか》に果敢《はか》ない目《め》の光《ひかり》を主《しゆ》として夜《よ》に向《むか》つて注《そゝ》ぐのである。
 夜《よ》は彼等《かれら》の世界《せかい》である。
 熟練《じゆくれん》な漁師《れふし》は大洋《たいやう》の波《なみ》に任《まか》せて舷《こべり》から繩《なは》に繼《つ》いだ壺《つぼ》を沈《しづ》める。其《そ》の繩《なは》を探《さぐ》つて沈《しづ》めた赤《あか》い土燒《どやき》の壺《つぼ》が再《ふたゝ》び舷《こべり》に引《ひ》きつけられる時《とき》、其處《そこ》には凝然《ぢつ》として蛸《たこ》が足《あし》の疣《いぼ》を以《もつ》て内側《うちがは》に吸《す》ひついて居《ゐ》る。恁《か》うして漁師《れふし》は烱眼《けいがん》を以《もつ》て獲物《えもの》を過《あやま》たぬ道《みち》を波《なみ》の間《あひだ》に窮《きは》めて居《ゐ》るのである。僅《わづか》な村落《むら》の内《うち》で毎日《まいにち》凡《すべ》ての目《め》に熟《じゆく》して居《ゐ》る女《をんな》の所在《ありか
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