べき所以《ゆゑん》のものではない。彼《かれ》は彼等《かれら》の伴侶《なかま》に在《あ》つては、幾度《いくたび》かいひふらされて居《ゐ》る如《ごと》く水《みづ》に落《おと》した菜種油《なたねあぶら》の一|滴《てき》である。水《みづ》が動《うご》く時《とき》油《あぶら》は隨《したが》つて動《うご》かねば成《な》らぬ。水《みづ》が傾《かたむ》く時《とき》油《あぶら》は亦《また》傾《かたむ》かねば成《な》らぬ。併《しか》し水《みづ》が平靜《へいせい》の度《ど》を保《たも》つ時《とき》油《あぶら》は更《さら》に怖《おそ》れたやうに一|所《しよ》に凝集《ぎようしふ》する。兩者《りやうしや》の間《あひだ》には何等《なんら》其《そ》の性質《せいしつ》を變化《へんくわ》せしむべき作用《さよう》の起《おこ》るでもなく、其《そ》れは水《みづ》が油《あぶら》を疎外《そぐわい》するのか、油《あぶら》が水《みづ》を反撥《はんぱつ》するのか遂《つひ》に溶《と》け合《あ》ふ機會《きくわい》が無《な》いのである。之《これ》を攪亂《かうらん》する他《た》の力《ちから》が加《くは》へられねば兩者《りやうしや》は唯《たゞ》平靜《へいせい》である。村落《むら》の空氣《くうき》が平靜《へいせい》である如《ごと》く、勘次《かんじ》と他《た》の凡《すべ》てとの間《あひだ》も極《きは》めて平靜《へいせい》でそれで相《あひ》容《いれ》ないのである。勘次《かんじ》は其《そ》の菜種油《なたねあぶら》のやうに櫟林《くぬぎばやし》と相《あひ》接《せつ》しつゝ村落《むら》の西端《せいたん》に僻在《へきざい》して親子《おやこ》三|人《にん》が只《たゞ》凝結《ぎようけつ》したやうな状態《じやうたい》を保《たも》つて落付《おちつい》て居《ゐ》るのである。
偶然《ぐうぜん》に起《おこ》つた彼《かれ》の破廉耻《はれんち》な行爲《かうゐ》が俄《にはか》に村落《むら》の耳目《じもく》を聳動《しようどう》しても、兎《と》にも角《かく》にも一|家《か》を處理《しより》して行《ゆ》かねばならぬ凡《すべ》ての者《もの》は、彼等《かれら》に共通《きようつう》な聞《き》きたがり知《し》りたがる性情《せいじやう》に驅《か》られつゝも、寧《むし》ろ地味《ぢみ》で移氣《うつりぎ》な心《こゝろ》が際限《さいげん》もなく一《ひと》つを逐《お》ふには年齡《ねんれ
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