傳《つた》ふるものではない。彼《かれ》は只《たゞ》其《そ》の日《ひ》/\の生活《せいくわつ》が自分《じぶん》の心《こゝろ》に幾《いく》らでも餘裕《よゆう》を與《あた》へて呉《く》れればとのみ焦慮《あせ》つて居《ゐ》るのである。彼《かれ》の心《こゝろ》を滿足《まんぞく》せしめる程度《ていど》は、譬《たと》へば目前《もくぜん》に在《あ》る低《ひく》い竹《たけ》の垣根《かきね》を破壤《はくわい》して一|歩《ぽ》足《あし》を其《その》域内《ゐきない》に趾《あと》つけるだけのことに過《す》ぎないのである。然《しか》も竹《たけ》の垣根《かきね》は朽《く》ちて居《ゐ》る。朽《く》ちた低《ひく》い竹《たけ》の垣根《かきね》は其《そ》の強《つよ》い手《て》の筋力《きんりよく》を以《もつ》て破壤《はくわい》するに何《なん》の造作《ざうさ》もない筈《はず》であるが、手《て》の先端《せんたん》を觸《ふ》れしめることさへ出來《でき》ないで居《ゐ》るのである。彼《かれ》は長《なが》い時間《じかん》氷雪《ひようせつ》の間《あひだ》を渉《わた》つた後《のち》、一|杯《ぱい》の冷《つめ》たい釣瓶《つるべ》の水《みづ》を注《そゝ》ぐことによつて快《こゝよ》よい暖氣《だんき》を其《そ》の赤《あか》く成《な》つた足《あし》に感《かん》ずる樣《やう》に、僅少《きんせう》な或《ある》物《もの》が彼《かれ》の顏面《がんめん》の僻《ひが》んだ筋《すぢ》を伸《のべ》るに十|分《ぶん》であるのに、彼《かれ》は其《そ》の冷水《れいすゐ》の一|杯《ぱい》をさへ空《むな》しく求《もと》めつゝあつたのである。自然《しぜん》に形《かたちづく》られて居《ゐ》る階級《かいきふ》の相違《さうゐ》を有《いう》して居《ゐ》る者《もの》又《また》は長《なが》い間《あひだ》彼《かれ》の生活《せいくわつ》の内情《ないじやう》を知悉《ちしつ》して居《ゐ》る者《もの》からは彼《かれ》は同情《どうじやう》の眼《まなこ》を以《もつ》て視《み》られて居《ゐ》るけれども、こせ/\とした其《そ》の態度《たいど》と、狐疑《こぎ》して居《ゐ》るやうな其《その》容貌《ようばう》とは其處《そこ》に敢《あへ》て憎惡《ぞうを》すべき何物《なにもの》も存在《そんざい》して居《ゐ》ないにしても到底《たうてい》彼等《かれら》の伴侶《なかま》の凡《すべ》てと融和《ゆうわ》さる
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